新生 (キリスト教)
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新生(しんせい、英語:born again、regenerated)はキリスト教用語では、個人の罪が赦され、聖霊によって霊的に新しく生まれ変わること。この語は福音主義、福音派、キリスト教根本主義、聖霊派でおもに使われ、まれにエキュメニカル派でも使われることがある。
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[編集] 新生の聖書的根拠
聖書においてヨハネによる福音書3章5節で、イエス・キリストはユダヤのラビ、指導者ニコデモに霊的な新生が必要であることを説いている。
「まことに、まことに、あなたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
– ヨハネ 3:1-8, 新改訳聖書
[編集] 概念
いくつかのキリスト教の教派は、新生した者がクリスチャンであるとし、この語で明白にこれを表している。ボーン・アゲイン(新生)の語は合衆国で一般的であり、宣教を通して世界中で使われるようになっている([2])。なお、神学上、すべての真のクリスチャンは新生していると考えられる。しかし、この語は教派の伝統によって異なった使われ方をしている。
- ローマ・カトリック教会は「新生」を洗礼と結び付ける。「洗礼は、水と聖霊によって新生をもたらす秘跡(サクラメント)である」と考える。これは他のキリスト教伝統教派である、正教会、イングランド国教会、ルーテル教会の教理でもある。
- 多くのプロテスタント伝統教派では回心経験を重視せず、信仰告白を唱えればよしとする。回心を否定しはしないが、救いの恵みを受け取った結果としての新生の語を使わない。
- 人が救われたことを指して新生の語を使う福音主義者、根本主義者、ペンテコステ派のクリスチャンは聖霊による新生と、個人的な回心経験を結びつける。この派のクリスチャンは、真のクリスチャンは回心を経験すると断言する。
神学において救いは救済論と呼ばれる。使徒パウロは、新生は「新しい創造」([3])であり、神の御業によって、罪深いかつての生活から解放されて、新しい歩みをし、聖霊によってキリストとの関係を与えられ、いのちある新しい生活を始める事が出来るという救済論を、教えている。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
– 第二コリント教会への手紙 5:17, 新改訳聖書
[編集] 教派による「新生」の意義と取扱
新生の概念はおよそキリスト教なら全ての教派が持っているが、それを強調する教派はプロテスタントのうち歴史的に大覚醒、信仰復興運動に連なる福音派ならびに聖霊派である。(新生を強調しない教派ではこれを特に「新生派」と呼ぶこともある。)
[編集] 新生を強調する教派での理解
聖霊によって新しく生まれ、キリストと結合する霊的なバプテスマを受けたことを指しており、聖霊によるバプテスマ、聖霊のバプテスマとも言う。この福音派および聖霊派では、十字架の福音を受け入れて信仰を告白し、聖霊によって新しく生まれた者のみがクリスチャンであると認める。そして、教会に出席して、洗礼を受けただけでは新生しないと教える([4])。聖霊によって新生したクリスチャンは、自覚的な回心を経験するとされているが、これは必ずしも劇的な回心体験を意味していない。また、「新生は神の側のことで、回心とは人間の側のことである」([5])と言われている。
ホーリネス教会では、新生と区別して、新しく生まれ変わる体験「第二の回心」を強調している。
また福音派が聖霊のバプテスマと新生を同じものととらえることが多いのに対し、ペンテコステ派は新生と区別して、異言を伴う聖霊のバプテスマを強調する。
新生を強調する宣教団体に、高校生向けの伝道団体Hi.B.A(High School Born Again)がある。
[編集] 新生を特に強調しない教派での理解
カトリック教会、正教会、プロテスタントの伝統的主流派では、事効説(ex opere operato)の教理から、洗礼を受ければ本人の信仰の告白が無くてもクリスチャンと呼ばれる。特に伝統的なキリスト教国の幼児洗礼に見られる態度である。これに対する反動からアナバプテストが起こった。なお、新生を強調しない教派でも、異教国においては福音の受容と悔い改めの後に公に信仰告白を為し洗礼により教会に連なる一連の入信プロセスのどこかにこれを位置づけ、なにか劇的な信仰体験が伴うとも別途与えられるとも特に教えない。ただし、伝統教派でもカリスマ運動、カトリック・カリスマ刷新においては聖霊体験を重視する。
多くの場合、「回心」は上記の「悔い改め」のことであり、「聖霊のバプテスマ」は「水のバプテスマ」と不可分で、それらが「洗礼」において同時に行われる際に、本人の自覚に関わらず「新生」もまた起こるとされる。これら新生を強調しない教派の救済観は「洗礼による新生」「洗礼による救い」(Baptismal Regeneration)と呼ばれることもある。
[編集] 異訳
キリスト教に対する理解の不足したジャーナリズムなどでは、しばしばBorn againを「再生」と訳出する。これは日本語を解する全てのキリスト教徒にとって信仰理解上全く受け入れられない、違和感を伴う誤訳であり、信仰の現場で用いられることは決してない。Born againは罪に染まった「古い自分」を捨てて神に向かって歩む「新しい人」となることであり、「古い自分」が「再生」されては意味がないからである。
[編集] 脚注
- ^ ヨハネの福音書3章5節『新改訳聖書』(初版)、新約聖書刊行会、1965年
- ^ ビリー・グラハムの世界的な宣教活動が知られている。
- ^ ガラテヤ6:15
- ^ ジョージ・ホウィットフィールドは説教でこれを教えたために、イングランド国教会から非難を受けた
- ^ 『聖書の教理』
[編集] 参考文献
- 『聖書の教理』羊群社 ISBN 4897020360
[編集] 外部リンク
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