政府暗号学校
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政府暗号学校(せいふあんごうがっこう、英:Government Code and Cypher School、略号:GC&CS)とは、第一次世界大戦後に外交暗号の傍受・解読を目的として設立された英国の政府機関である。 同機関は、第二次世界大戦ではドイツ軍のエニグマ暗号通信を数多く解読して成功を収めた。戦後は1946年まで存続した後、政府通信本部に改組された。
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[編集] 概要
政府暗号学校は1919年に海軍の暗号解読機関であるルーム40 (Room 40) と陸軍の同種の機関 MI1 (Military Intelligence, Section 1) を統合して生まれた。当初の人員は200名程度であったが、第二次世界大戦の最盛期には1万人にまで増加した。
1939年8月、チェルテナム郊外のブレッチリーパークに移設された。チューダー王朝様式の洋館の裏庭には沢山のプレハブ建物が造られた。敷地には余裕があるようで職員が中庭でフラウンダース大会を開いている。
長官(校長)はアラステア・デニストン少佐(かつてルーム40にも所属)、後にエドワード・トラビス中佐になった。トラビスが消極的で役に立たないと思った重要メンバー数人が、チャーチル首相に直訴して装備は一新された。
GC&CS の発展は数学者の採用による。それ以前は一般軍人や言語学者が採用されていたが、世界で初めて暗号の数学的構造に組織的に取り組んだ。数学者の徴用は後に決定的な成果を生む。
[編集] エニグマ通信の解読
この機関の最大の功績は、1940年春にドイツ軍潜水艦の「エニグマ」暗号通信を解読したことである。GCCS は第二次世界大戦直前にポーランド軍の暗号解読機関(マリアン・レイェフスキーが解読の中心)が収集した資料(解読方法も含む)を直接受け取った。これを元に仕組みを解析したのが天才数学者アラン・チューリングである。
他にゴードン・ウェルチマン、スチュアート=ミルナー・バリー、ジョン・ケアンクロスなどがいた。
[編集] コベントリー空襲の黙認事件
チャーチル首相は、1940年11月のコベントリー空襲をエニグマ通信の暗号解読により事前に察知していたが、暗号解読の事実をドイツ軍に悟られないため、空襲警報を出さず同市民を見殺しにしたとされる事件。これには異論もあり、事実なのか捏造なのかは分かっていない。