御堂関白記
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御堂関白記(みどうかんぱくき)は、平安時代の貴族の摂政太政大臣藤原道長が著した日記。『入道殿御暦』・『御堂御記』・『法城寺摂政記』とも言う。国宝に指定されている。
御堂関白記の名称由来は、藤原道長建立の法成寺無量寿院のことを指している。しかし、道長は生前、一度として関白となっておらず、御堂関白記の名称は後世付けられたものであり、正確なものではない。
御堂関白記は藤原道長の日記史料として著名であるが、同時に意味不明な文章や、誤字、文法的誤りの多いことでも有名で、解釈が難しい史料である。これは同じ藤原摂関家の藤原忠実による『殿暦』、師通による『後二条師通記』にもいえることで、摂関家は漢文についてそれほど得意ではなかったようだ。これにくらべ、同時期の藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』はすぐれた文体と内容で定評がある。
長徳4年(998年)から治安元年(1021年)までの記述であるが、一部欠巻もある。しかし欠巻分は抄録などで補填できるため、大部は参観できる。しかし、道長は日記記述を行わなかった時期があるため、肝心の政治的動向や思惑が記されていることはまずあり得ない。驚くほど簡明な記録であり、現代人が期待するような内面的叙述は一切存在しない。ただ、藤氏長者の職掌を知り、活動範囲を学ぶには最適な史料であるといえよう。
自筆本十四巻が現存している。
現代語訳は日本語では行われておらず、フランスの日本学学者がフランス語でしたものが唯一。