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後藤貴明 - Wikipedia

後藤貴明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 貴明(ごとう たかあきら/たかあき、天文3年(1534年)3月 - 天正11年8月2日1583年9月17日))は、戦国時代の武将。肥前後藤氏第19代当主(武雄領主)。第18代当主後藤純明の養子(実父は大村純前)。後藤晴明(竜造寺家均)の実父。後藤惟明(松浦隆信の実子)、後藤家信竜造寺隆信の実子)の養父。又八郎、一時佐純と称した。墓は武雄市橘町芦原の光明寺にある。

目次

[編集] 肥前の後藤氏

肥前の後藤氏は藤原利仁の末裔を称する。東北平泉における前九年の役の戦功により武雄の地を与えられたといわれ、平安時代末期以降、代々武雄の地を領してきた。

[編集] 経歴

[編集] 大村氏から養子として後藤氏へ

後藤貴明は、もともと大村純前の実子(庶子)であったが、有馬晴純の子(大村純忠)が大村氏の跡継ぎになるに及び、天文14年(1545年)、後藤氏に養子に出された。大村氏家臣団の中には、もともと跡継ぎであった貴明を追い出す原因となった大村純忠に反発する動きがあり、また、大村純忠がキリシタンに入信したこともあって、貴明によしみを通じる者が続出したため、貴明は大村純忠としばしば対立することとなる。このため、ルイス・フロイス日本史にも、「後藤殿」として大村氏と敵対する立場でしばしば登場する。

なお、永禄3年(1560年)、貴明は、自らに実子がなかったことから、平戸城主の松浦隆信から惟明を養子に迎えている。

[編集] 西肥前における大村氏、有馬氏、龍造寺氏との戦い

永禄3年(1560年)9月、長島庄の旧主である渋江公親の子渋江公師(貴明にとって従兄弟に当たる)に守らせていた潮見城(武雄市橘町永島)が有馬晴純の軍勢に攻められ奪取されると、貴明は直ちに出陣しこれを奪い返した。このとき、渋江公師は貴明の怒りに触れることを恐れて肥後に逃亡したという。同年12月、今度は須古城(白石町堤)を攻めるが敗退する。

永禄4年(1561年)、塩田(嬉野市塩田町)を攻め、領主原直景を降伏させる。 永禄5年(1562年)、貴明は大友宗麟に秘かに書簡を送り、翌年、同盟を結ぶこととなった。

永禄6年(1563年)7月、貴明は、大村家臣団と呼応してクーデターを起こさせ、自らも大村方面へ出陣して大村氏の平定を試みるが敗退する(野岳の戦い)。また、針尾島に兵を出して佐志方城を攻め落とし、かつ、佐世保、日宇、早岐、針尾島の四ヶ村を自らの領土としたという。なお、このとき、貴明に呼応した横瀬浦奉行針尾伊賀守とともに、大村純忠が前年ポルトガルに提供した横瀬浦港(長崎県西海市)も焼討ちした(ルイス・フロイスの日本史によれば8月15日(7月27日 (旧暦))の出来事とされている)。

同年7月、龍造寺隆信が武雄の手前の北方に迫ったため、貴明は隆信と和議を結ぶ。同年8月には和議に従って、龍造寺隆信の先鋒として須古城の平井経治を攻めるが失敗、貴明は逆に平井経治と同盟を結ぶこととし、経治の娘を嗣子惟明の妻に迎えることとした。

永禄7年(1564年)2月、龍造寺隆信は再度須古城を攻めるが、貴明は平井経治との同盟に従い龍造寺軍を攻撃、結局この戦の勝敗はつかなかった。

同年3月、今度は、平戸松浦氏諫早西郷氏と呼応して大村方の彼杵城を攻め落とした。これに対し、同年8月、有馬・大村の連合軍が彼杵城に迫るも撃退、有明海側の鹿島方面からは有馬軍が塩田に迫ったが、これに対しても貴明は反撃して撃退した。

永禄9年(1566年)7月、貴明は大村に出陣し大村純忠を攻めるが失敗する。

元亀元年(1570年)4月、大友宗麟による佐嘉城の龍造寺隆信攻めに協力して包囲網の西方向から参陣する。なお、このときは大友氏に服属していた諸氏のほか、有馬氏大村氏西郷氏、平井氏も包囲網に参加し、龍造寺方5千に対し、大友方は6万とも8万といわれた戦いであり、龍造寺方の敗北は必至と思われたが、鍋島直茂(当時の名は鍋島信生)による奇襲により大友方は敗退している(今山の戦い)。

さらに元亀3年(1572年)7月には、平戸の松浦氏や諫早の西郷氏と呼応して、大村純忠の居城である三城を包囲した。三城にはわずか七騎しかいなかったにもかかわらず、純忠は何とか防ぎきり、貴明は三城を陥とすことができなかった(このいきさつはルイス・フロイスの日本史にも記述されている)。

[編集] 龍造寺氏の支配下へ

今山の戦いの後も、貴明は、元亀2年(1571年)、天正元年(1573年)、天正2年(1574年)と数度にわたり、多久や北方方面で龍造寺氏と戦っている。 ところが、同年6月、貴明の養子惟明が貴明に叛旗を翻したため、やむを得ず貴明は龍造寺隆信に救援を求め、それにより惟明は敗北した。そして、貴明は龍造寺隆信に実子晴明を人質に差し出している。

しかしながら、明くる天正3年(1575年)8月には早くも龍造寺隆信との和議は破綻した。天正4年(1576年)3月には龍造寺隆信が貴明の居城である塚崎城まで迫り、城に放火している。結局、天正5年(1577年)2月に再度貴明と龍造寺隆信の和議が成立するが、これは貴明の実子晴明(後の龍造寺家均)を龍造寺隆信に養子に出す代わりに、龍造寺隆信の三男である家信を貴明の娘槌市と結婚させ貴明の養子とするというものであった。すなわち、龍造寺隆信の勢力が拡大するに及び、龍造寺隆信の支配下に入らざるを得なくなったのである。

(注)龍造寺家均の子は鍋島茂富(後藤茂富)であり、その茂富の子が多久安順(やすとし)の養子に入り多久茂辰(しげとき)となる。

同年及び明くる天正6年(1578年)、龍造寺隆信に従い、貴明及び家信は大村に出陣、大村純忠は天正6年(1578年)7月、ついに龍造寺隆信に降伏した。

先代:
後藤純明
武雄領主(武雄後藤氏)
第19代
次代:
後藤家信
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