弘前師管区
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弘前師管区(ひろさきしかんく)とは、第57師団の管轄区域のことを指し、青森県・岩手県・秋田県に相当する地域である。昭和20年(1945年)4月1日に弘前師管区司令部が設けられた。
常設師団の師団長は、天皇に直隷し、徴兵事務を担当する連隊区司令部を管掌し、補充業務などの管轄区域内の軍政についても責任を有していた。しかし師団長は有事の際には外地に出征して部隊の指揮を取ることが多くなり、内地に於ける補充業務などの軍政については留守部隊が担当した。このため留守師団が置かれ、師団長とは別に留守師団長が補されるようになり、常設師団の留守師団司令部が管轄区域を補充地とする特設師団の補充も担当した。その後、第二次世界大戦の末期の昭和20年(1945年)1月20日に大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改め、作戦と軍政の分離が推し進められ、師管区司令部を設け常設師団が管掌していた補充業務などの軍政を切り離した。
この地域は大日本帝国陸軍創設当初は、仙台鎮台の管轄区域である第二軍管区に含まれ、仙台鎮台が第2師団に改編され初めて師管区が設定された後も引き続き第二師管区に含まれていたが、明治31年(1898年)弘前に第8師団が置かれ、明治38年(1905年)には高田に第13師団が置かれ、また第13師団は大正14年(1925年)に廃止されるなどし、師団の管轄区域は分割統廃合されるなどその都度変更された。
昭和15年(1940年)8月からは弘前に在った第8師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として第57師団が設けられ、昭和16年(1941年)から師管区の呼び方が、それまでの師団の名称でなく地名を用いるようになり、弘前師管区と呼ばれるようになった。そして昭和20年(1945年)4月1日に弘前師管区司令部が設けられ、仙台師管区司令部と共に第11方面軍司令部(司令官吉本貞一中将)が兼ねた東北軍管区司令部に隷属した。