康帝 (東晋)
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政権 | 東晋 |
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廟号 | (なし) |
諡号 | 康皇帝 |
姓・諱 | 司馬岳 |
生没年 | 322年 - 344年 |
在位期間 | 342年 - 344年 |
父 | 明帝 |
母 | |
陵墓 | 崇平陵 |
元号 | 建元:343年 — 344年 |
康帝(こうてい、322年 - 344年、在位:342年 - 344年)は、東晋の第4代皇帝。姓は司馬、名は岳、字は世同。第2代皇帝明帝の子、第3代皇帝成帝の同母弟。
[編集] 略歴
342年、兄である成帝の死により、急遽皇位を継いだ。この当時成帝には幼い子がいたが、外戚としての専権を失うことを恐れた庾冰により、「国難の時期に幼帝はふさわしくない」との名目で、同母弟である康帝が皇位に付けられた。
短い治世のほとんどは後趙の石虎との戦いに費やされた。なお、この戦いの中で、後代に実権を握る桓温が頭角を現している。
しかし、皇帝としての力量を発揮する間もなく、在位2年ほどで兄と同様に早世した。
[編集] 宗室
[編集] 子
- 穆帝(孝宗)・司馬聃(彭子)
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