平繁盛
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平 繁盛(たいら の しげもり、生没年不詳)は、平安時代中期の武士。平国香の子。貞盛の弟。子に維茂・維幹らがいた。 常陸平氏の祖。
若い頃は右大臣藤原師輔の家人として仕えていた。寛和2年(986年)に「聖朝安穏鎮護国家の為に」比叡山に金泥で写経した大般若経を献上しようとしたところを、仇敵の平忠頼らに妨害されたため、忠頼の非を比叡山の政所に訴えた。このとき繁盛の提出した解状によると、彼は当時散位従五位下で、平将門の乱において兄貞盛や藤原秀郷らと共に功績を挙げたが、繁盛一人だけが恩賞から漏れたのを無念に思っていることなどを述べている。
『尊卑分脈』では「武略は神に通じる人」と手放しの賞賛を受けている。