巨田神社
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巨田神社 | |
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所在地 | 宮崎県宮崎市佐土原町上田島10732-1 |
位置 | 北緯32度3分28.2秒 東経131度24分13.7秒 |
主祭神 | 天太玉命 誉田別命 大帯姫命 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 寛治7年(1093年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 11月15日 |
巨田神社(こたじんじゃ)は、宮崎県宮崎市佐土原町にある神社。祭神は天太玉命、誉田別命(応神天皇)、大帯姫命(神功皇后)。古名は巨田八幡宮。
目次 |
[編集] 歴史
大分県の宇佐神宮の荘園である田島荘が設けられたのにともない、その鎮守である巨田八幡宮として寛治7年(1093年)に宇佐神宮から分霊された。また、古田宮とも記されている。中世には伊東氏の支配下にあり、またこの頃に巨田八幡宮の供僧と蓮光寺院主を兼任した例[1]が見られる事から、蓮光寺は巨田八幡宮の別当寺だったと考えられている。天正6年(1578年)に日向国が島津氏の領土となってからは、島津家久が法華経一部を奉納するなど島津氏の信仰を集めた[2]。
文安5年11月8日(1448年12月13日)に本殿が建立され、その際の棟札には、大檀那として領主・藤原祐賀(伊東祐尭の弟)の名が記されている。その後、永正5年(1508年)を初め、文禄5年(1596年)に島津豊久、慶長18年(1613年)に佐土原藩主・島津忠興によってそれぞれ修造が行なわれている。貞享3年(1686年)に摂社今宮社、享保12年(1727年)に摂社若宮社が本殿の左右に建立された。
[編集] 例祭
毎年11月15日前後(かつては旧歴9月15日)に秋の例祭があり、この時に「巨田神楽」が舞われる。その中の綱荒神の舞で登場して両断される藁製の大蛇は、水田に施せば稲がよく成長し、家畜に与えると無病息災になるとされる。なお巨田神楽は太平洋戦争中より舞手が減少し存亡の危機に瀕していたが、昭和46年(1971年)に地元有志により巨田神楽保存会が結成され存続している。
[編集] 文化財
- 宮崎県文化財
[編集] アクセス
[編集] その他
近接する巨田大池では、佐土原藩士が鍛錬のために鴨狩を行なっていた。かつては朝夕の巣の出入りを狙って30の猟場が作られていたが、この伝統猟は昭和初期に一時休止した。昭和34年(1959年)に保存会を結成して再開され、夕方に飛立つ鴨を待ち伏せて鴨網で捕る。現在もこの猟法が行われている地域は種子島や石川県など数少ない。
[編集] 参考文献
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)