川崎病
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川崎病(かわさきびょう、英:Kawasaki disease)とは、おもに乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患。1961年に日本赤十字社の小児科医・川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。病名は川崎医師の名前から採られたものであり、神奈川県川崎市や川崎医科大学とは無関係である。川崎公害に起因するぜんそくなどとの混同を防ぐため、「川崎富作病」と呼ぶべきだとの意見もある。ただし川崎病はちゃんとした疫学上の名称である一方で公害に関連する病気を地名と関連して「何々病」と呼ぶのは疫学とは何の関連も無い。例えば水俣病の疫学上の診断名は水銀中毒である。欧米の医学では新しく発見された疫病に発見者の名前にちなんで妙名することが多い。
小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英MCLS:MucoCutaneous Lymph-node Syndrome)とも言われるが、世界的に川崎病 (KD) が一般的。もっとも、若いころの川崎医師は、MCLSと呼ばないで川崎病と呼ぶと「私はそんな名前は付けていない」と言って怒ったそうである[要出典]。
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[編集] 疫学
日本をはじめとするアジア諸国に多く、欧米では少ない。男女比は1.3~1.5:1でやや男児に多い。発症年齢は4歳以下が80%以上を占め、特に6ヶ月~1歳に多い。
[編集] 症状
主要症状は以下の6つである。
- 5日以上続く原因不明の発熱(ただし治療により5日未満で解熱した場合も含む)
- 両側眼球結膜の充血
- 四肢の末端が赤くなったり堅く腫れる(手足の硬性浮腫、膜様落屑)
- 皮膚の不定型発疹
- 口唇が赤く爛れる、いちご舌、口腔咽頭粘膜のびまん性発赤
- 有痛性の非化膿性頸部リンパ節腫脹
以上6つの主要症状のうち5つ以上を満たすものを本症と診断するが、5つに満たない非典型例も多い。また主要症状には含まれていないが、BCG接種部位の発赤・痂皮形成は臨床上重要な所見である。
さらに、長期予後として発症から1~3週間後ぐらいに10~20%の頻度で冠動脈に動脈瘤が認められ、まれに心筋梗塞により突然死に至ることがある。
[編集] 原因
今のところはっきりとした原因は特定されていないが、冬に多く地域流行性があることから何らかの感染が引き金となって起こる可能性が示唆されている。
2007年に理化学研究所のグループが患者と健康体の児童を比較して遺伝子解析してみたところ、ある種の遺伝子異常を有する児童は有しない児童に比較して川崎病への罹患率が2倍になるとの研究結果を発表している。
[編集] 治療
急性期治療の目的は、炎症反応の抑制・血栓形成予防・冠動脈瘤予防であり、免疫グロブリンとアスピリンを併用するのが通常である。この併用療法により48時間以内に解熱しない、または2週間以内に再燃が見られる場合を不応例とする。不応例には免疫グロブリンの再投与を行うか、ステロイドパルス療法が有用な例も報告されている、また冠動脈が拡張を来していないか心エコーによりフォローする必要がある。冠動脈病変が好発する第10病日で行い、異常が認められない場合には発病後6週で再検する。(実際は各施設により心エコーを行う時期はまちまちと思われる。)冠動脈病変が認められない場合、その時点でアスピリンを中止する。
[編集] 川崎富作
川崎富作は千葉大学出身である。大学内での出世コースに入らず日本赤十字社へ向かった、たたき上げの小児科臨床医である。大学教授ではなく、日本赤十字社医療センター内でも部長にとどまった。国際的な病名にまでなっている日本の医師のなかでは、例外中の例外に属する。 川崎病の発表当時は猩紅熱の亜型ではないか、あるいはスティーブンス・ジョンソン症候群の軽症例ではないかとの議論があり、一度はMCLSという病名が学壇で否定されたこともある。 何しろ大昔のことで、東大系の医師たちに「そんな病気はない」といっていじめられた、日本赤十字社医療センター内も東大系の医師の勢力が強く、副院長にもしてもらえず定年後も辛酸をなめた、などという、どこまで本当なのか定かではない伝説も残っている。のち、学壇は川崎富作に日本学士院賞を贈った。現在、久留米大学客員教授を勤めている。これは久留米大学小児科が川崎病の研究、診療に力を入れていることによる。なお、広尾の日本赤十字社医療センターには川崎病診療の伝統がよく残っており、直弟子の園部友良(日赤医療センター部長)も厚生省川崎病研究班の班長をつとめ、「診断の手引き」改訂などに尽力している。
[編集] 外部リンク
- 川崎病の子供をもつ親の会
- 日本川崎病研究センター
- 川崎病の発症と重症化に遺伝子「ITPKC」が関与することを発見 2007/12/17-独立行政法人 理研横浜研究所