岩井昇山
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岩井 昇山(いわい しょうざん、明治3年12月26日(1871年2月15日) - 昭和28年(1953年)1月11日)は、明治から昭和期の日本画家。
[編集] 経歴
1871年2月15日(旧暦明治3年12月26日)、太政官府の役人・岩井秀一の次男として、東京麹町に生まれる。本名は小五郎。成童のころ北派(文晁系)の画家・吉澤雪庵に学び、次いで容斎派の松本楓湖の安雅堂画塾の門人となる(楓湖の浅草栄久町時代、明治10〜25年の弟子)。晩年の文献には、渡辺省亭に師事したと記載されているものもある。日本画会、明治画会、帝国絵画協会、巽画会などに所属するものの、画家としての活動記録はほとんど見られず、展覧会出品の記録も1902年(明治35年)の第12回「日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会」、1913年(大正2年)の「表装競技会」などほんのわずかで、人嫌い、変人、果ては楓湖門破門説などに結びつけられ、「幻の画家」と称される由縁となっている。大正終わりから昭和始めころには、東京都下谷区(現台東区)から埼玉県寄居町に移り、山水を中心に清澄で透明感のある独自の画風を確立したが、ついに画壇の寵児となることなく、1953年(昭和28年)1月11日、同地で没した。享年81。
2006年8月25日号の美術誌『Bien(美庵)』Vol.40(藝術出版社)にて、巻頭特集「幻の画家・岩井昇山』として紹介されるや、一躍脚光を浴び、『埼玉新聞』2006年9月14日付でも「謎多き孤高の画家」として大きく紙面を割いて報道した。その後も地元・寄居周辺を中心に展覧会の動きもあり、盛り上がりを見せている。
[編集] 近況
昇山の名が上がるにつれて、特に埼玉を中心に悪質な贋作が出回っているようだ。見つかっているものは、熱で圧着させたシールのような落款を用いている。落款をよく見ると、サインや印章の周囲に不自然な光沢があったりで判別できるので、よく見て注意されたし。なお、落款については上記『Bien(美庵)』Vol.40(藝術出版社)に詳しいので、参照されたい。