岡崎洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年3月27日 - )は、1995年から2003年まで神奈川県知事を2期務めた。
[編集] 略歴
神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学卒。1954年旧大蔵省入省、同期には窪田弘(国税庁長官、旧 日債銀会長)、吉田正輝(日銀理事、兵庫銀行頭取)など。国では、大蔵官僚から環境事務次官などを歴任後退官し、その後私財を投じて(財)地球・人間環境フォーラムを設立、理事長となり、地球環境問題をライフワークとして取り組む。
ポスト長洲知事候補として、神奈川県の財政の窮状を救える人材として白羽が立ち、共産党を除く主要政党と連合神奈川の推薦を受けて、1995年(平成7年)の県知事選で初当選。
知事就任後、県の困窮した財政運営の舵取りと再建に向け、自らの期末手当や退職金などの大幅なカットをはじめ、定数、組織数、県債の発行抑制など3つの削減目標を掲げ、徹底した行財政改革に取り組むとともに、民間資金の新たな調達方法としてPFIを全国で初めて考案・実施して赤字転落を回避するなど、神奈川の財政危機を救った。そうした手腕もあって、地方分権推進委員会委員にも推挙された。
また政策面では、「環境立県」を目指して、「神奈川県環境基本条例」の制定や、国の地球環境戦略研究機関の県への誘致、水源環境保全のための新税導入の方向付けなど、環境政策に力を入れた。さらに、全国で初めて、NPOやボランティアの支援の拠点を整備し、「神奈川ボランタリー基金21」を創設するなど、「協働の時代」の幕開けを主導した。
議会運営は多数与党であったが、ディーゼル規制の導入などで議会との軋みを生んだこともあり、自ら三選に臨まず、2003年(平成15年)の任期満了をもって退任した。現在、再び、財団の理事長として、地球環境問題に取り組む。
[編集] その他
2005年(平成17年)7月7日、藤沢市内の公園において妻(64歳)と長女(39歳)が飼い犬の散歩中にそろって落雷に遭い死亡するという不幸に見舞われた。
|
|
|
|
---|
内山岩太郎 - 津田文吾 - 長洲一二 - 岡崎洋 - 松沢成文 |