山田安民
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山田 安民(やまだ やすたみ 慶応4年2月1日(1868年2月23日) - 昭和18年(1943年)4月13日)は、ロート製薬の創業者。実業家・薬剤師・奈良盲学校の創設者。
[編集] 来歴・人物
奈良県宇陀郡池上村(現・宇陀市)で、父・安二郎と母・ナカの長男として生まれる。幼い頃から学問にやる気を持ち、関西法律学校に入学するが、中退し東京へ上京し、英語を学ぶ。東京で英語を学んでいる最中に病に掛かった為に英語を学ぶ事を断念し、大阪へ帰阪、実業家に転進する。
1899年2月22日、31歳の時に大阪市南区清水町(現・中央区東心斎橋)でロート製薬の前身である「信天堂山田安民薬房」を開業し、胃腸薬「胃活」を販売し大ヒットを得る。
なお、胃活は1999年に創業100周年を記念して「パンシロン 胃活飲力」として期間限定で再販された。創業の地が心斎橋であった事はあまり知られていない。
1909年にドイツ・ミュンヘン大学のロートムンド博士に師事していた眼科医・井上豊太郎が処方した点眼薬を調製し「ロート目薬」として発売。当時流行性眼病がはやっていた事もあり、大ヒット商品となった。これがきっかけで「ロート」と言うブランドが確立する事になる。
奈良県に盲学校がないのを知った安民は、盟友の小林卯三郎と共に1920年3月に奈良県初の盲学校である「私立奈良盲唖学校」を創立し校主となり私財を投じて学校運営にも関わる。1925年4月に校主を退き、学校運営から身を引く。その後、孝子・井里平三郎の伝記を読んで感銘し、1932年に私財を投じて「大和古今孝子伝」を刊行し、県内を中心に配布する。
1943年4月13日逝去、享年76。
安民の死から6年後の1949年9月、安民の長男で、安民の死後「信天堂山田安民薬房」の店主を引き継いだ輝郎が創業50周年を機に「ロート製薬株式会社」を設立し、社長に就任、信天堂山田安民薬房の事業を継承した。
[編集] 家族
長男:輝郎(ロート製薬初代社長) 孫:安邦(元会長、輝郎の長男)・安廣(現・取締役兼アンズコーポレーション社長、輝郎の五男) 曾孫:邦雄(現・社長、安邦の長男)
[編集] 関係項目
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主な製品 | ロート製薬の製品(メンソレータム1・パンシロン・ROHTO Zi:・ロートCキューブ・OXY(オキシー)など) |
現在放送中の 一社提供番組 |
SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー |
過去の主な 一社提供番組 |
漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき |
関連人物 | 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉 |
関連項目 | 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区 |
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲 2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供 |