山本進悟
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山本 進悟(やまもと しんご、1974年生まれ)は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。ガソリンスタンド、「長谷川サービスステーション」エリアマネージャー。SASUKE唯一の皆勤賞。東京都出身。身長171cm、体重61kg。
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[編集] 人物
初出場時にはガソリンスタンド勤務だったのだが、回を重ねる毎にどんどん出世をしていき、店員に、第6回には所長に、第13回にはエリアマネージャーにまでなっている。これを当時の実況古舘伊知郎は、「汗まみれの出世物語」と呼んでいた。しかし出世を重ねる毎に、充分なトレーニングが出来ていない状態で本番に挑んでおり、仕事の終わる深夜からトレーニングを行っているという。左肩の脱臼癖があり、大会時に脱臼してしまったこともある。腰痛も発症しており、まさに満身創痍の中でのサスケ挑戦が続いている。しかし、前述の通り第20回まで唯一のサスケ皆勤賞で「SASUKEは人生最良の趣味」として楽しみながら挑戦を続けており、インタビューなどでは明るい面を見せることが多い。1stステージでは毎回ローリング丸太で帽子を落とすのも特徴(実況やナレーション曰く「ステージクリアの身代わり」)だったが、ローリング丸太が廃止になってからは帽子を落とすシーンは滅多に見られなくなった。
秋のサスケには弱いというジンクスがあり、第4回から第11回まで続いた。原因は夏バテ。夏は食欲が涌かないらしく、スタミナ不足になりがちだったからである。その代わり春のサスケではいつも好成績を収めていた(何故か毎回山本の後の選手が2ndステージでリタイアし、最後の一人となっていた)。また、ただ一人2つのファイナルを経験している選手でもある。第17回前には、「SASUKE御殿」と呼ばれるマイホーム(外壁を利用してロープクライムができたり、スパイダーウォークやボディプロップなどができる)を建てた。陸上経験があり、第1回には陸上のユニフォームで出場をしていた。
[編集] SASUKEでの戦歴
[編集] 第1回大会~第7回大会
第1回は1st丸太下りを立ち幅跳びで突破。さらにそのまま、そそり立つ壁も楽々クリアし、当時の実況者(戸崎貴広)から「凄い!」と叫ばれた。1stを29,0秒残しで突破する。しかし、2nd五連ハンマーでクリアしたがバランスを崩してコースアウトでリタイア。第2回は3rdまで進出するも、新設された難関パイプスライダーで滑り落ち、2本目の途中で落下。当時はこのレベルまで到達する選手が少なくなかったので、特に注目はされずゼッケンの番号も序盤だった。第3回にファイナルに進出すると、有力選手と扱われるようになる。ゼッケン98番となった第4回だが、1st揺れる橋でリタイア。これが山本進悟、秋のジンクスの始まりである。ちなみに今大会以降、長くゼッケン90番台後半で定着しており、今大会がSASUKEオールスターズの始まりだったとも思われる。
第5回(詳しくは「大リニューアルの末に…」参照。第6回には所長に出世。自身も「1st、2ndを確実に」と語っていたのだが、1stローリング丸太でリタイア。自身は「悔しくて言葉がでない」と語った。
第7回(詳しくは「1年半ぶりのファイナリスト、無残な結末」で。第8回から服を青色からワインレッドへ変更した。さらに今大会は前回左肩を脱臼したため、テーピングを巻いてでの出場となった。台風の中での今回はそり立つ壁まで進むも、1回失敗。滑るような音も聞こえていたため、雨が影響していたと思われる。2回目の挑戦でそり立つ壁を乗り越える。ロープクライムではクリアかタイムアップか非常に微妙なところだったが、頂上付近で左肩を軸にして足をかけ、登ろうとした瞬間足を滑らせタイムアップ。この頃から、「山本は春に強く秋に弱い」というジンクスを周辺の人物、そして山本自身も意識し始める(この頃は、奇数回数の大会は春に、偶数回数の大会は秋に開催されていた)。
[編集] 第9回大会~第12回大会
第9回は体調を崩し、風邪をひいている中での挑戦となったが、1stを10,27秒残しでクリア。今大会は2ndのスパイダーウォークがよく滑り、挑戦者達を苦しめていたが、山本はただ一人滑り止めをつけずにスパイダーウォークに挑んだ。しかし危なげなく最速タイムで突破し、3rdまで進む。第5回、第7回に続き山本の後の選手が2ndステージでリタイアし、最後の1人となるが、新設されたスタートエリア・ランブリングダイスの最後の着地でリタイア。ここも左肩の脱臼癖が影響したのではと言われている。この直後のインタビューで山本は「今回はここまでが僕の実力でした」と語っている。第10回ではそり立つ壁を一発でクリアし、残りタイムも充分あったが、新エリア・ターザンロープで手こずり、ロープクライムへの移行で少し落下。着水はしなかったものの、一番下から登ることとなりスタミナが尽きてタイムアップ。これで秋の大会は4大会連続1stリタイアとなってしまう。
第11回は、前回の無念を晴らすかのような落ち着いた作業でターザンロープをクリア。残りタイム15,4秒でクリアする。2ndステージも余裕のパフォーマンスで12,6秒残し、3rdまで駒を進める。クリフハンガーの下りの段差で力尽きて落下。しかし、春は山本の名に恥じない成績であった。そして秋の開催である第12回。今大会はヘルニアが発症し、腰痛の中でまさに満身創痍の挑戦となる。しかし1st、2ndを見事クリアし、秋のジンクスを遂に振り払った。しかし3rdランプグラスパーで苦戦。左肩を思うように使えないために、腕を曲げられず、ぶら下げた右手一本で必死に耐え抜く姿も見られた。クリフハンガーに何とか到達したものの、うめき声をあげ、登り段差で雄叫びをあげて落下した。直後のインタビューでは「ダサいです、今回は。情けないです」と口にした。
[編集] 第13回大会~第20回大会
第13回前に行われたSASUKEトライアルでは自身の番になった直後に雨が降り、その影響でそり立つ壁リタイアという不運に合ってしまう。これにより、2大会連続で3rdクリフハンガーまで進み、ここ9大会連続でゼッケン96番以上だったのだが、第13回はゼッケン76番となった(この大会では『黄金筋肉』のSASUKEトライアルの結果によって大方の番号が決められていたため)。1stは13,71秒残しの余裕のクリア。しかし、2ndステージで時間との戦いになり、さらにウォールリフティングで苦戦。最後の壁で足を挟み、ギリギリのところ無念のタイムアップ(詳しくは「2ndステージ連続タイムアップ事件」参照)。第1回以来の2ndステージリタイアとなった。前回大会で秋の嫌なジンクスを払拭したのだが、今大会で春の良いジンクスも振り払ってしまったという感じである。
第14回は1stを25,59秒残しでクリア。3rdステージのカーテンクリングでリタイアした。第15回は今までリタイア経験のなかった3rdボディプロップでリタイア。さらに続く第16回は、これもまた今までリタイア経験のなかった1stジャンプハングでまさかの着水。89番から96番まで8人連続で1stをクリアしていたため、山本のこのリタイアは強烈であった。第17回は前々回同様ボディプロップでリタイア。第18回はゼッケン争奪マラソンであえて早めのゼッケン番号である61番を選び、オールスターズの先陣をきった。そり立つ壁の進化版グレートウォールで一回ミスをし、残り時間も微妙なところだった。それが焦りに繋がったのか、フライングシュートを突破した後の網で落下。第19回はポールメイズで一回ミスをしていまい、その後のジャンピングスパイダーでリタイア。第20回はハーフパイプアタックで着地に成功したがバランスを崩し沼地の中へ。これでリニューアル後3大会連続1stステージリタイアとなった。
[編集] SASUKEで出場した大会の結果
()の中はその時のゼッケン ★、太字は大会最優秀成績、もしくはファイナリスト
- 第1回大会 (7) 2nd、五連ハンマー(コースアウト)
- 第2回大会 (20) 3rd、パイプスライダー(2本目)
- 第3回大会 (13) Final、15m綱登り ★
- 第4回大会 (98) 1st、揺れる橋
- 第5回大会 (98) 3rd、パイプスライダー(ジャンプ)★
- 第6回大会 (96) 1st、ローリング丸太
- 第7回大会 (97) Final、スパイダークライム(途中で落下) ★
- 第8回大会 (98) 1st、ロープクライム
- 第9回大会 (98) 3rd、ランブリングダイス(着地失敗)
- 第10回大会 (998) 1st、ロープクライム
- 第11回大会 (98) 3rd、クリフハンガー改(2→3本目)
- 第12回大会 (96) 3rd、クリフハンガー改(1→2本目)
- 第13回大会 (76) 2nd、ウォールリフティング(ボタン前でタイムアップ)
- 第14回大会 (98) 3rd、カーテンクリング
- 第15回大会 (95) 3rd、ボディプロップ
- 第16回大会 (97) 1st、ジャンプハング(着水)
- 第17回大会 (98) 3rd、ボディプロップ(1個目の空白)
- 第18回大会 (61) 1st、フライングシュート(網への移行で落下)
- 第19回大会 (81) 1st、ジャンピングスパイダー
- 第20回大会 (1981) 1st、ハーフパイプアタック
[編集] 特筆
3rdステージ進出10回は全選手中、竹田敏浩と並んで最多である。2ndステージの突破率も高い。しかし彼は未だにゼッケン99番以上を経験していない(98番は8回あるのにもかかわらず)。近年はかつてと比べあまり派手な成績をあげていないが、唯一の皆勤賞、満身創痍の体という中で安定した成績を残し続けている。
[編集] 本大会以外での出来事
- GBA専用ソフト「筋肉番付 ~決めろ!奇跡の完全制覇~」に隠しキャラクターとして登場し、パッケージにも出ている。パワーの能力が高く、ケイン・コスギよりも若干高め。その他の能力も万遍なく高い万能型となっている。
- オールスターズ達と「海筋肉王」にも出場している。1stステージ、スイングマストで脱落した。
- 第17回サスケ放送日には、奥さんとタイのプーケットへバカンスをしていた(放送日と被ったのは山本曰く、偶然らしい)。長野誠の完全制覇に火をつけられ、早くも次回に向けてのトレーニングを始めていた。
- 第17回終了後に、白鳥文平と開園前のお台場マッスルパークへ。サスケ3rdステージのセットの、テストプレーヤーとして挑戦した。久しぶりの挑戦だったこともあり、パイプスライダーで失敗。しかし、このサスケセットを「本物と全く同じだ」と絶賛していた。
☆2008年4月27日マグロフェスタに参加。同じ日に長野誠・秋山和彦・山田勝己・竹田敏浩も参加している。