尭然法親王
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尭然法親王(ぎょうねんほっしんのう、慶長7年10月3日(1602年11月16日) - 寛文元年閏8月22日(1661年10月15日))は、江戸時代前期の皇族・僧。天台宗延暦寺別院門跡妙法院の門跡。後陽成天皇の第六皇子。母は持明院基孝の娘掌侍持明院孝子。六宮と称される。諡号は慈音院。
1603年(慶長8年)常胤法親王の資となり妙法院に入室し、1613年(慶長18年)親王宣下を受けた。1616年(元和2年)に得度して尭然と号し、1623年(元和9年)二品に叙せられた。1640年(寛永17年)天台座主となり、以後2度天台座主に任じられたが、1655年(明暦元年)3度目の座主職は辞任している。能書家で、絵画・立花・香道・茶道(石州流)にも詳しかった。