小畑実 (歌手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小畑実(おばたみのる、1923年4月30日-1979年4月24日)は朝鮮平壌出身の歌手である。本名康永喆(カン・ヨン・チョル)
1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。苦学しながら声楽を学ぶ。このころ秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と秋田出身を称した理由とされる。なおイクの息子小畑達夫は共産党リンチ事件で殺害されている。
デビューは1941(昭和16)年2月ポリドールからで『成吉思汗』であった。ただし朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県としていた。のちビクターに移籍、1942(昭和17)年『湯島の白梅』が出世作となる。翌年『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の歌手として注目を浴びるが、実際の活躍は終戦後であった。 テイチク・キング・古巣のビクターと所属会社を転々としながらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・『薔薇を召しませ』・『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街角で』・『高原の駅よさようなら』、『ロンドンの街角で』などのヒット曲を飛ばした。特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と『アイ・ラブ・ユー』という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作である。
1957(昭和32)年12月、第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。一時期実業界に移り歌謡界から遠ざかっていたが、1969(昭和44)年ごろ折からの懐メロブームもあって、『勘太郎いつ帰る』で復帰。韓国にもしばしば渡り本名で活躍する。1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせ気を吐いた。その後ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活動していた矢先、千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全で突然の死となる。享年55歳の若さだった。
目次 |
[編集] 代表曲
- 成吉思汗(昭和16年2月発売)共唱:吉沢美穂子
- 婦系図の歌(湯島の白梅)(昭和17年9月発売)共唱:藤原亮子東宝映画「婦系図」主題歌
- 勘太郎月夜唄(昭和18年1月発売)共唱:藤原亮子「伊那節仁義」主題歌
- 暁の交換船(昭和18年7月発売)共唱:藤原亮子
- 小太刀を使う女(昭和19年1月発売)共唱:藤原亮子
- 月夜のパイプ(昭和23年1月発売)
- 長崎のザボン売り(昭和23年4月発売)
- 小判鮫の唄(昭和23年10月発売)
- おしどり笠(昭和23年12月発売)
- 薔薇を召しませ(昭和24年6月発売)
- アメリカ通いの白い船(昭和24年7月発売)
- 星影の小径(昭和25年4月発売)
- 涙のチャング(昭和25年10月発売)
- 高原の駅よさようなら(昭和26年6月発売)
- 山の端に月の出るころ(昭和26年6月発売)
- 雨のダンスパーティ(昭和26年7月発売)
- ああ高原を馬車は行く(昭和26年10月発売)
- ロンドンの街角で(昭和27年3月)
- 藤十郎恋唄(昭和27年9月発売)
- 花の三度笠(昭和28年9月発売)
- そよ風のビギン(昭和29年6月発売)
- 湯の町しぐれ(昭和51年8月発売)
- 誰か夢なき(昭和52年)
[編集] ベストアルバム
- 小畑実のすべて(1986年2月21日)
- 小畑実〈New Best One〉(1990年11月7日)
- 全曲集(1991年11月5日)
- 小畑実大全集(CD8枚組)(1993年)
- 小畑実全曲集(1993年12月1日)
- SP盤復刻による懐かしのメロディー(1995年4月21日)
- <COLEZO!>小畑実(2005年9月22日)
- 決定版小畑実(2005年11月2日)
- 歌カラ・ヒット4(18)(2006年1月21日)
[編集] 関連項目
- NHK紅白歌合戦
- 佐々木俊一
- 白山雅一
- 第4回NHK紅白歌合戦
- 第5回NHK紅白歌合戦
- 第8回NHK紅白歌合戦
- 月…「勘太郎月夜唄」
- ファイト (朝ドラ)
- ブロマイド
- 松平晃