寛容社会
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寛容社会(かんようしゃかい)とは、社会規範から次第に自由になりつつある社会に対してつけられる呼び名である。寛容社会への変化は、通常、規範からの逸脱という概念自体に対する変化を伴う。この寛容が極限に達すると、「他人に迷惑をかけない」以外の道徳律がほとんどない社会になる。
寛容社会になると変化の起きやすい社会的側面としては、以下のものがある。
- 性的な自由が拡大する。この中には、BDSM やフェティシズムのような、規範から逸脱した性行動や、同性愛、両性愛、スワッピングなどのような、従来眉をひそめられがちだった性的嗜好(指向)に加わる自由も含まれている。
- 暴力的、もしくは、性的な内容を含む映画、音楽、芸術、文学などを視聴する自由が拡大し、検閲が少なくなる。
- 宗教団体の影響力が減少する。これには、世俗主義の普及が伴うことが多い。
寛容さは、常によいことだと見なされているわけではない。離婚も少なかったし、十代の若者の妊娠率も低かったし、昔の方がよかった、と主張する者もいる。アメリカ合衆国では、モラルマジョリティ(道徳的多数派)運動のようなキャンペーンが、そのような見解をとっている。
それ以外の人は、昔の社会がよかったように見えるのは抑圧の結果に過ぎず、そこにはさまざまなマイナス面(たとえば、女性は独立した収入がなかったので、ひどい亭主とも離婚できなかった)もあったと反論している。アメリカでは、全米女性機構などの団体が、そのような見解をとっている。