安帝 (東晋)
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政権 | 東晋 |
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廟号 | (なし) |
諡号 | 安皇帝 |
姓・諱 | 司馬徳宗 |
生没年 | 382年 - 418年 |
在位期間 | 396年 - 418年 |
父 | 孝武帝(第6子) |
母 | |
陵墓 | 休平陵 |
元号 | 隆安:397年 — 401年 元興:402年 — 404年 大亨:402年 義熙:405年 — 418年 |
安帝(あんてい、382年 - 418年、在位:396年 - 418年)は、東晋の第10代皇帝。姓は司馬、名は徳宗、字も徳宗(名と字が同一である)。第9代皇帝・孝武帝の長子。
[編集] 略要
一切の意思表示ができないという重度の知能障害児であったが、396年に父・孝武帝が殺された後、皇帝として擁立された。勿論、安帝自身に政治を行なうことができるわけがなく、最初は司馬道子による専横、そして司馬道子が殺された後は桓玄(桓温の庶子)に反乱を起こされ、403年には簒奪されて、一時的に皇帝の地位を廃されてしまうという有様であった。翌404年に桓玄が殺され、劉裕の助力のもとに復位したが、今度はその劉裕の専横を許すことになった。そして418年、劉裕の手によって殺害された。齢37。子はいなかったという。
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