奥田美和子
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奥田美和子 | |
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基本情報 | |
出生日 | 1982年2月13日(26歳) |
血液型 | AB型 |
学歴 | 鳥取県立米子北高等学校中退 |
出身地 | 鳥取県米子市 |
ジャンル | J-POP・ロック |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 2000年 - 2001年、2003年 - |
レーベル | ソニー・ミュージックレコーズ(2000年) デフスターレコーズ(2000年 - 2001年) BMG JAPAN(2003年 - 2008年) |
事務所 | 研音(2000年 - 2006年) |
共同作業者 | 大江千里(2000年) 柳美里(2003年 - 2005年) |
公式サイト | http://www.bmgjapan.com/okudamiwako/ |
奥田 美和子(おくだ みわこ、1982年2月13日-)は、日本の歌手。BMG JAPAN所属。鳥取県米子市出身。米子北高等学校中退。血液型AB型。
目次 |
[編集] 人物
趣味は格闘技観戦。フェイバリットアーティストに矢野真紀、CORE OF SOUL、徳永英明を挙げている。同じ歌手の月の203号室やMAO/d、また女優の蓼沼千晶とは親交がある。
[編集] 略歴
- 高校2年のとき、歌手になることを決意し、高校を中退する。その頃、友人に渡した何気なく作ったデモテープが音楽関係者の手に渡る。これをきっかけに歌手への道を踏み出す。
- 2000年2月2日に大江千里プロデュースでシングル「しずく」でSony Recordsよりデビュー。
- 『しずく』『tsu-ki』のシングル2枚をリリースした後、2001年すぐに歌手活動を休業、ソニーとの契約を解消する(2000年10月1日にDefSTAR RECORDSより『しずく』・『tsu-ki』の再発売盤がリリースされる。)。
- 2002年に芥川賞作家の柳美里の大ヒット作『命』に出会い、感銘を受けて手紙を送る。熱意に打たれた柳が作詞・ビジュアルをプロデュースすることにより、新たに再出発。
- 2003年、BMG JAPANに移籍、11月5日に3rdシングル『青空の果て』をリリース。オリコントップ10以内には入らなかったものの、累計15万枚以上のヒットを記録する。
- 2004年3月5日、ニッポン放送『柳美里と奥田美和子のオールナイトニッポン』がオンエア。柳美里との共演であるが、事実上初のメディア登場となる。
- 2005年5月25日に6thシングル『雨と夢のあとに』のリリースをきっかけにメディア出演解禁。テレビ朝日系『ミュージックステーション』に初登場したすぐ後、ドラマ『雨と夢のあとに』第7話に自身役で出演(ライブを披露)し、多くの話題を呼ぶ。
- 同年6月22日、最初のデビューから実に約5年4ヶ月をかけて1stアルバム『二人』をリリースする。また、6月29日、初のライブ出演を果たす。
- 2006年8月30日に8thシングル『BORN』をリリース。同年5月にテレビ東京系『いきなり結婚生活』のテーマソングとして先行オンエアされた「love you」や、代表曲「雨と夢のあとに」も収録、収録曲3曲すべてタイアップ付となる。またこの作品より柳美里プロデュースを離れる。
- 2006年をもって所属事務所である研音から離脱する。
- 2008年3月31日、オフィシャルサイトの日記上で、日記更新の終了とサイトの閉鎖(BMG JAPANとの契約終了)を告知。一時活動休止へ入る。
[編集] 奥田美和子と柳美里
2001年にDefSTAR RECORDSを離脱し、音楽活動を休止していた奥田が、2002年に柳原作の小説と同名映画『命』を観、その後小説の『命』四部作を読んで感銘を受けたところから始まる。
当初は、小説『命』四部作を担当していた小学館のスタッフを通して、奥田の当時の所属事務所である研音側が柳にプロデュース企画の依頼を出していた。しかし、当時柳は子育てをしながら朝日新聞紙上で『8月の果て』を執筆しており、現状が精一杯であったために企画に目を通すことなく断ったという。その後、奥田が柳のもとへ自分のこれまでの経歴と歌への思いを綴った手紙を送ったことから、柳は手紙の内容に心を動かされ、プロデュースを決意する。柳はプロデュースを決意するにあたり、「(手紙の内容を読んで)互いの喪失感が似ていると思った」ということが動機であるとし、「私は書くしかないし、奥田美和子は唄うしかない」とコメントしている(テレビ朝日系『ミュージックステーション』2005年5月27日放送回VTRコメントより)。
アルバム『二人』ブックレット等によると、2人が初めて対面したのは2002年7月22日、横浜ランドマークスタジオにてである。そこでカバー曲数曲を披露してみせたという。
柳プロデュース時代は、楽曲制作はすべて詞先(歌詞を先に書き、後に曲をつける手法)で行われた。まず、奥田が自分で片付けられなかった過去を柳宛ての手紙またはメールに託し、そこから柳が感じたイメージを「奥田への返信」として歌詞にするというもの。ニッポン放送『柳美里と奥田美和子のオールナイトニッポン』で柳は、楽曲「歌う理由」は、奥田からの実体験が書かれたメールをもとに歌詞を書いたと公言している。柳はこの方針を貫き、奥田に対する主観的なイメージを持たないように、あくまでも客観視した捉え方でプロデュースを行うためにあえてプライベートでは会わないようにしたという。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- しずく(2000年2月2日)
- tsu-ki(2000年6月21日)
- 青空の果て(2003年11月5日)
- TBS系ドラマ『ヤンキー母校に帰る』主題歌
- 歌う理由/はばたいて鳥は消える(2004年3月3日)
- 夢(2004年9月22日)
- 雨と夢のあとに(2005年5月25日)
- ぼくが生きていたこと(2005年9月7日)
- ワイズポリシー配給映画『殴者』主題歌
- BORN(2006年8月30日)
[編集] アルバム
- 二人(2005年6月22日)
- 君を想う(2006年9月6日)
- 初回限定盤のみDVD付
- 「青空の果て」「歌う理由」「夢」「雨と夢のあとに」「ぼくが生きていたこと」「BORN」プロモーションビデオ・メイキング映像・TVスポット収録
[編集] 関連項目
- 大江千里(デビュー当時の全音楽プロデュースを担当)
- 柳美里(ビジュアルプロデュース・作詞を担当)
- イズミカワソラ(楽曲提供)
- KUMACHI・熊谷尚武(鳥取県米子市時代からの友人)
- BMG JAPAN