天中殺
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天中殺(てんちゅうさつ)とは、空亡のこと。日本で生まれた高尾系の算命において天中殺の呼称が良く使用される。
十干と十二支を組み合わせである六十干支において、十干と十二支では十二支の方が2つ余分になっている。例えば甲子から始まる10の干支では、戌と亥の2つの十二支は組み合うべき干を持たない。そこで戌亥は甲子旬には空亡しているとし、甲子旬には戌亥は弱くなっているものとする。四柱推命ではほとんど省みられることのないものだが、この空亡に対して生日の干支において強い意味付けを行うと以下のようになる。
六十干支で甲子の日から癸酉の日に生まれた人は、戌亥の年月日時が天冲(中)殺になる。他の甲戌の日から癸未の日に生まれた場合は申酉のそれが該当する。(以下四十種類の生日干支も同様に扱う。)一見無価値の事柄であるが、本人の運勢周期を測る上で急所になる要素なので、「大殺界」だから凶運であると短絡に決め付けず、よく四柱八字を精査する必要がある。
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[編集] 天中殺解釈と空亡解釈の違い
- 天中殺も空亡も、その地支、その時間帯の出し方は同じであるが、その解釈、応用が異なる。
- 四柱推命における「空亡」は「あってなきが如し」と解釈する。これに対して算命学は「限定されない気で、無限の気と解釈し、物事は意に反して動く気」と解釈する。
[編集] 天中殺の概説
[編集] 生日から見て(生年月日時に)天中殺のない人
- 生年はその父祖・目上との関係・出身階級を象徴する。天中殺の作用は「あってなきが如し」であるからこうした不安定要素もなくその能力を最大に発揮できる。生月はその人の基本的な性能・兄弟同年代との関係・各天干の強弱を象徴する。古来月支原命といい何月生まれかは用神を決める上の基本である。当然日支は生日から天中殺にはならない。生時はその晩年の姿であり子女の象徴。
- 天中殺は本人の原局にない地支であり、多くは本人の有する地支を破壊する結果になる。特に機能している用神を冲衝するので突然の環境の変化を誘引する。六星占術でいう「大殺界」である。
- 概して天中殺がない人は四柱の各機能が全開するので性格が明朗で理解しやすい。しかし天中殺の時に運勢が変化しやすいので時に極端な状況に陥る。また偏った五行が命式の均衡を崩しているなら逆に天中殺がほしいという事情もあり、その有無が即ち運勢上有利不利になるとはいえない。
[編集] 生日から見て天中殺のある人
- 生年が天中殺の場合。
※六星占術では霊合星人に当たる。
- 生月が天中殺の場合
- 生月は本人の性質性情を決定する最重要要素である。生日と何月に生まれたかとの関係は自分自身の強弱を表す。また他の年干支・日支が何月の生まれかでやはり強弱が決まる。本人の仲間を象徴している。
- 生月の空亡はこれが当てにならないとなるので、同世代の人・兄弟と疎遠になりやすい。ただ生月は季節を表すので空亡の作用はないとする立場もある。実地で確認する必要がある。
- 生時が天中殺の場合
- 生時は晩年の状態・子女との関係を象徴する。また朝に生まれたか夜に生まれたかを示すので、生月同様気温の高低・季節を表す。生月に難点があっても生時が補う場合もある。
- 空亡になると子女と疎遠になる・当てになってならない状況が起こりやすい。
[編集] 生年から見て生日が天中殺になる人
- 生日からみて生年が空亡になると、いわゆる互換空亡として父祖目上と本人とに断絶が生じやすい。しかし実際の判断が必要である。
[編集] 六星占術との関係
六星占術は生日から見て生年に天中殺(空亡)のある人を霊合星人としている。
[編集] 天中殺の解消
天中殺に当たる地支が生年月日時にあるときは以下の流年・大運で解消する。即ち「当てになってならない」人が「当てになる」時が来る。
- 地支が沖撃される。(例-空亡の支が酉であれば卯の年、卯の大運)
- 地支が方合専気を迎える。(例-酉が空亡なら申・戌の地支が大運流年で共に揃うなど)
- 地支が全会する。(例-酉が空亡なら丑・巳の地史が大運流年で共に揃う)
このときは地支の空亡が解消され、更に地支の上にある天干の空亡もかなり解消する。
[編集] 天中殺の解消における注意
- 天中殺に当たる地支が生年月日時にあるとき、その地支を冲動する後天運が回るとき、天中殺が解消されるのは、四柱推命理論であって、算命学理論では、その天中殺の気を増幅すると考える。これは、天中殺は積極的現象において、その天中殺の気が増幅されると考えるので、冲動が回るとき、天中殺の気は積極的になる。よって、天中殺は解消されない。このことは、四柱推命の理論による行動は危険であるということになる。
[編集] 天中殺ブーム
1979年、易者の和泉宗章がテレビ番組「11PM」内で天中殺に基づいて長島巨人軍は日本一になれないと予言。それをきっかけとして、和泉の著書『天中殺入門』など2冊が合計で300万部以上のベストセラーになり、日本において天中殺ブームが到来する。しかし1980年に占いを外したことから、和泉宗章は易学の世界から身を引き、話題となった。
[編集] 外部リンク・参考文献
- 加藤普品ら編「運勢大辞典」国書刊行会