大貴誠
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大貴 誠(だいき まこと)は、NewOSK日本歌劇団初代トップスター。1月20日生まれ、A型。横浜市出身。
2002年8月に結成された最上級生(当時)の吉津たかしを会長とする「OSK存続の会」において副会長を務め、署名活動などに奮闘する。NewOSK日本歌劇団結成以来、トップスターとして活躍。台本なども手がけた。
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[編集] 略歴
横浜で誕生。子どもの頃は「ガキ大将」タイプだったという。小中高と水泳に打ち込んでいた。
高校時代に進路で迷い、東宝のオーディションを受け合格し蜷川幸雄の芝居に出演。玉乗りに挑み、帝劇公演の幕開きにスポットライトを浴びる経験をした。女優・吉川雅江に宝塚歌劇団とOSK日本歌劇団を勧められ、「これから面白くなりそう」なOSKを志す。
1984年、日本歌劇学校入学。59期生。
1986年、OSK日本歌劇団に入団。
少年めいた美貌とトークの面白さで人気を博す。不満があれば劇団にはっきり言ったため、それが評価を受けることも疎まれることもあり、抜擢と低迷を繰り返す。
2002年、OSK存続の会副会長に就任。OSK存続に尽力する。
2003年、2003年8月15~17日 近鉄劇場「熱烈歌劇 reーBIRTH」以来、NewOSKのトップスターとして活躍。
2004年4月、「春のおどり」(第一部:桜咲く国 第二部:ルネッサンス)で66年ぶりとなる大阪松竹座での「春のおどり」公演を復活(大阪松竹座でのOSK公演自体は58年ぶり)。同年10月には正式に「NewOSK日本歌劇団」が発足。
2007年4月、大阪松竹座公演「春のおどり~ 桜咲く国2007・輝く未来へ ~」を以て退団。
[編集] スター像
トップスターとして舞台を務めると同時に、脚本・演出、果ては営業活動まで自ら行いマルチな才能を示す。
特に劇団の存続活動において核となったスターであり、その功績ははかり知れない。「自分がトップになりたかったから活動した」と酷評されることがあるが、実際の所大貴のような存在がなければNewOSK日本歌劇団の発足さえ不可能であっただろう。