大石良昭
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大石良昭 (おおいし よしあき、寛永17年(1640年)頃 - 延宝元年9月6日(1673年10月15日))は、江戸時代前期の武士。忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の父。通称は権内(ごんない)。
赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助良欽の嫡男として誕生。母は鳥居忠勝の娘。岡山藩池田家の重臣池田出羽由成の娘くまを妻に迎え、その間に大石良雄(赤穂浅野家筆頭家老)、専貞(八幡山大西坊の僧)、大石良房(赤穂浅野家家臣)の三子を儲けた。赤穂藩大阪屋敷に勤めていた延宝元年(1673年)9月6日に父良欽に先立って同地で死去した。享年34。大阪の円通院に葬られた。法名は本務院英巌玄雄。良昭は家督前に没してしまったため、良昭の長男である良雄は良欽の養嗣子となって大石家の家督を継ぐことになる。