大洋デパート火災
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大洋デパート火災(たいようデパートかさい)は、1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に熊本県熊本市下通1丁目3番10号にあった百貨店の「大洋デパート」(鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建て)で発生した、火災事故である。
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[編集] 概要
火災発生当時は隣接する櫻井総本店ビル3階~8階への増築および改装工事をしながら、また、年末に向けての書き入れ時だった営業で、出火したとみられる場所は2階から3階の階段の踊り場と言われている。事実上『従業員の通路』と化していた階段部分には、大量の荷物が置かれており、通路幅は狭かった。火元はタバコの火の不始末か放火か、または改装工事の際の火花によるものなのか、様々な憶測が出るも判明しておらず、出火原因は未だに不明とされている。この火災で3階以上延べ1万3,500平方メートルを全焼し、年末に向けての買い出しに来ていた買い物客や従業員、工事関係者ら103人が死亡、124人が重軽傷を負う[1]という、日本のビル火災では大阪市の千日デパート火災(1972年5月13日)に次ぐ大惨事となった(千日デパートはいわゆる百貨店ではないため、デパート火災としては史上最悪)。
火災当時、ビルにあるスプリンクラーなどの防火設備などは工事中で作動しなかった。火災後、大洋デパートの直営店である大洋ショッピングセンター健軍(現マルショクサンリブ健軍店)・水前寺(現マルショクサンリブ水前寺店→2007年1月で閉鎖)・京塚店は閉鎖、大洋デパート八代店・大洋ショッピングセンター新市街店は規模縮小して営業と厳しい環境となったものの、1975年11月16日に防災設備を完備し、ロゴなどを変えてイメージを一新して本店を再オープンした。
再オープンにあたり、防火設備を最優先で設置したため、売場面積を縮小。地上8階・地下1階の建物になる。三越との提携を強化してファッションに特化した店舗作りを目指した。また、下通り側アーケード出入り口の1階には慰霊碑が設置された。また1階の下通側には九州第1号店となるマクドナルド熊本大洋店がオープンした。
火災により強度を失ったコンクリート製の店内の柱を補強する為に、店内全体の柱は太くなってしまい、買い物客に圧迫感を与えてしまうとの配慮から、柱が鏡張りとなった[2]。再オープン初日は12万人が訪れて人だかりでごったがえしたものの、火災後のダメージは拭うことが出来ず、翌年に倒産、廃業した。
1979年10月、大洋デパート跡地に、ユニード資本による百貨店とスーパーの複合商業施設として「熊本城屋」が開業した。その後、ユニードがダイエー子会社九州ダイエーと合併したため「城屋ダイエー」と店舗名を変更するが、現在はダイエーの直営店舗「ダイエー熊本下通店」として営業されている。
[編集] 大洋デパート
[編集] 火事前(昭和48年当時)の会社概要
- 企業名・株式会社大洋
- 住所・熊本市下通1丁目3番10号
- 創業・昭和27年6月14日
- 設立・昭和27年10月10日
- 資本金・9,800万円
- 取締役社長・山口亀鶴
- 昭和47年売上高・120億円
- 従業員・男性368名、女性501名。合計869名。
- 定休日・木曜日(月2回)
[編集] 再オープン時のフロア構成
- 8F・食堂街
- 7F・おもちゃ、学用品
- 6F・家具、家電
- 5F・陶器、金物
- 4F・着物、子供服
- 3F・紳士服
- 2F・婦人服
- 1F・おしゃれ小物、アクセサリー、マクドナルド
- BF・食料品
[編集] エピソード
- 大洋デパートは、火災が起こるまでは市内随一の百貨店[3]で、当時市民は市街地へ出かけることを「大洋に行く」と言うほどであった。[4]
- 朝には「朝だ元気で」(八十島稔作詞・飯田信夫作曲)、夕方には「夕焼け小焼け」(中村雨紅作詞・草川信作曲)が大洋デパートから市内一円に向けて放送され、市民に時を告げていた。
- 元ニッポン放送アナウンサー、荘口彰久(熊本出身)の親類がほぼ毎日のようにこのデパートに買い物に行っていたという。しかし偶然にも出火当日は「体調が悪い」と言って買い物に行かず、結果として難を逃れた。
- 九州朝日放送のホームページの企業情報内「KBCアーカイブス」にて、大洋デパート火災当時のニュース動画を見ることができる[5]。
- 大洋デパート火災の影響で、熊本市における消防関係法令・条例等の基準は、現在でも全国一厳しいという。
[編集] 参考文献等
- ^ 今月の災害・事故 - 1973年11月 - 西日本新聞のページ
- ^ ダイエー熊本下通店となった現在も、鏡張りの柱のままである。
- ^ 現在は、熊本の老舗百貨店といえば「鶴屋百貨店」であるが、当時は百貨店といえば「大洋デパート」で、加えて同年10月にオープンした「岩田屋伊勢丹(後の熊本岩田屋、現くまもと阪神)」、「長崎屋」(現・熊本パルコ)と「鶴屋百貨店」が続いていた。
- ^ 熊本日日新聞記事に、鶴屋百貨店社員の話や市民の話として度々掲載されている。
- ^ KBC創立50周年期間のCM映像として用いられた[1]-九州朝日放送創立50周年アーカイブス。