墓山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
墓山古墳(はかやまこふん)は、大阪府羽曳野市白鳥3丁目にある前方後円墳。1975年2月22日に国史跡に指定された。現在、墳丘は応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の陪塚として、宮内庁の管理下にある。
[編集] 概要
古市古墳群のほぼ中央、誉田御廟山古墳の南西に位置する。全長約225m、後円部径約135m、高さ約20.7m、前方部幅約153m、高さ19.3mで、古市古墳群で5番目の大きさである。墳丘は三段築成で、葺石と埴輪が確認される。くびれ部の両側には造り出しがあり、周囲に幅約15mの濠と幅約37mの堤をめぐらしている。
後円部頂には亀甲紋を陰刻した竜山石製の長持形石棺の蓋石が露出していたことが報告され、周辺から出土したと伝えられる滑石製勾玉や形象埴輪が宮内庁に保管されている。出土した埴輪や石棺の特徴から、5世紀前半の築造と考えられる。
周囲には陪墳と見られる5つの方墳(野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)が存在している。なお、西馬塚古墳は古事記に登場する、自分の馬と交換してもらった馬が翌日埴輪の馬になっていたという話の舞台とされる。
[編集] その他
墓山古墳の南側周濠は後世に外堤を削って埋め立てられ、現在は墓地になっている。この墓地の一角に、桃井春蔵の墓がある。