園基秀
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園 基秀(その もとひで、応安2年(1364年) - 文安2年4月18日(1445年5月24日))は、室町時代前期の公卿・華道家。藤原北家頼宗流持明院家庶流の園家の当主。父は権中納言園基光。子に権中納言園基有・加賀権守持明院基世らがいる。正二位・権中納言。
応永20年(1413年)2月蔵人頭に補任される。応永21年(1414年)3月に参議に任ぜられる。応永28年(1421年)3月には権中納言に昇進したが、同年7月に辞任した。永享4年(1432年)12月、権中納言に還任した。翌年正月の後花園天皇の元服には上寿の役を務めた。同10年に官を辞し、嘉吉元年(1441年)7月に出家して法名を常観とした。文安2年(1445年)4月18日、77歳で薨去した。
琵琶と華道を家業とする園家の当主で、基秀は青山流挿花の中興の祖とされている。