善福寺 (大阪市)
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善福寺(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。
宗教法人としての登録名は「どんどろ大師 善福寺」。山号については「三松山」とする資料もあるが誤りである。
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[編集] 概要
現在、善福寺のある位置には鏡如庵(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺があったが、明治時代に廃寺になっている。その後、明治42年(1909年)1月9日に大阪府豊能郡豊能町(旧大阪府豊能郡東能勢村)にあった如意山甘露院善福寺を鏡如庵のあった場所(現在地)へ移転し、現在に至っている。
昭和20年(1945年)6月1日の空襲により、どんどろ大師善福寺と本尊・薬師如来は焼失したため、戦後に本尊を弘法大師に改めた。本尊の弘法大師像、脇侍の愛染明王像と不動明王像、脇仏の如意輪観世音菩薩像、薬師如来像は戦後になって新たに造立された。
現在の本堂は昭和58年(1983年)11月3日に落慶法要を行った。境内には、明治42年(1907年)5月21日に日露戦病死者記念仏として開眼された勝軍地蔵尊(青銅製)があり、大師堂(善福寺の旧山門を移転改築した建物)に修行大師像(青銅製)が安置されている。修行大師に笠が無いのは、戦時中(太平洋戦争 1942年~1945年)に供出(きょうしゅつ)したためである。
[編集] 鏡如庵(どんどろ大師)
鏡如庵(きょうにょあん)は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を弔うために創建されたと言う。鏡如庵のあった付近は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)では、真田幸村が真田丸を築き、激戦があった。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。
鏡如庵は「鏡如庵大師堂」とも称される。本尊・如意輪観世音菩薩、浪華(なにわ)大師巡りの道筋にあたり、毎月21日の弘法大師の縁日には多くの参詣者があったと言う。 明治6年(1873年)住職の義等が帰農して、鏡如庵は廃庵となる。明治12年(1879年)鏡如寺(きょうにょじ)と寺号を改めて再興するが、まもなく廃寺となった。
「どんどろ大師」の語源については、土井利位(どいとしつら)(生没年:1789年~1848年)(下総国・古河(茨城県)藩主)が大坂城代に在任中の期間(1834年~1837年)の屋敷が鏡如庵の近くにあり、土井利位が鏡如庵に祀られている弘法大師に深く帰依し、参拝していたために「土井殿の大師」(どいどののだいし)の名が起こり、遂に、どんどろ大師に転訛したと言うが、正確な語源は分っていない。境内に、土井氏と彫られた五輪塔が今も残る。
「浪速奇談」(天保6年(1835年)刊)には、鏡如庵の通称を「どんどろ」と記載しており、天保年間には、どんどろ大師の通称が使われていたと推察される。
また、鏡如庵は、歌舞伎「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」、歌舞伎「国訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいずる)」の「どんどろ大師 門前の場」の舞台として設定されている。巡礼姿の娘おつると母おゆみの愁嘆を描いた場面が有名である。
[編集] 善福寺
大阪府豊能郡豊能町(摂津国能勢郡木代村(きしろむら)にあった古義真言宗(高野山・発光院の末寺)の寺院。伝承によれば推古天皇の勅願で聖徳太子が開創し、中興は宝亀9年(778年)開成皇子によるというが詳細は不明である。
広大な境内を有し、伽藍が整い、多くの僧坊があったと言う。本尊・薬師如来 脇士・日光菩薩 月光菩薩 、十二神将、厨子に納められた、(降雨に霊験があるとされる)聖徳太子像を奉祀していた。木代村から宮中へ献上される「御玄猪餅」(おげんちょもち)(別名・「亥の子餅」(いのこもち))を作る時に使用する井戸や調理道具などを善福寺の院主が浄(きよめ)の御加持(おかじ)を行ったと言う。文禄2年(1593年)には、朝廷より「御玄猪餅」の御加持役のため、田地(約2反)を下賜された。寺運は興隆した。
しかし、明治時代になり、宮中への「御玄猪餅」の献上は明治3年(1870年)に停止。それに伴い、御加持役を廃された。また、田地などの返納を命じられて、経済基盤の多くを失った。
創建以来、度重なる火災に遭い、多くの堂宇を失った。明治時代に入ると、寺運は急速に傾いていった。
明治42年(1909年)に大阪市天王寺区空堀町へ移転することになる。
[編集] 札所
摂津国八十八箇所 第11番札所
[編集] 年中行事
- 1月21日 午後2時~ 大般若転読法会(だいはんにゃてんどくほうえ)
- 3月22日 午後2時~ 施餓鬼法会(せがきほうえ)
- 8月2日 午前10時~施餓鬼法会(せがきほうえ)
- 8月15日 午後3時~午後8時 お盆 精霊流し
- (毎月1日) 午前7時~ 勝軍地蔵尊護摩供(しょうぐんじぞうそんごまく)
- (毎月21日)午前10時~ 勝軍地蔵尊護摩供(しょうぐんじぞうそんごまく)
- (毎月21日)勝軍地蔵尊護摩供終了後、本堂にて観音経読誦
[編集] アクセス
〒543-0012
- 大阪市天王寺区空堀町10番19号
- JR大阪環状線 玉造駅 下車
- 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線 玉造駅 下車
[編集] 出典
- 「摂津名所図会(有馬郡・能勢郡)」
- 「浪速奇談」
- 「摂津名所図会大成」
- 「大阪府全志」
- 「豊能町町史」