吉川国経
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吉川 国経(きっかわ くにつね、1443年(嘉吉3年) - 1531年5月4日(享禄4年4月18日))は、戦国時代の国人領主。本姓は藤原氏。家系は藤原南家の流れを汲む吉川氏。吉川経基の長男。尼子経久の義兄に当たる。官位は伊豆守。治部少輔。子に吉川元経、吉川経長、宮庄経友、吉川経世、妙玖(毛利元就室)がいる。
1509年、家督を継いで当主となる。大内義興と尼子経久が足利義稙を擁して上洛したとき、それに従軍している。後に尼子経久が大内義興と戦い始めたとき、尼子氏に味方して活躍した。経久と縁者にあったことから、毛利元就を高く評価していた経久が元就を味方にしようとしたとき、国経の娘を元就に嫁がせている。晩年の1522年には長男の吉川元経が自身に先立って死去したため、孫(元経の子)に当たる吉川興経(千法師)の補佐に当たった。
1531年4月18日、89歳という長寿をもって死去。法名は正受院一株慶守。
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