南流石
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南 流石(みなみ さすが、1958年7月9日 - )は日本の振付師である。本名は南 潤子(みなみ じゅんこ)で、芸名の名付け親は桑田佳祐である。
[編集] 来歴
幼少期よりバレエやジャズダンスなどに取組、16歳の頃からインストラクター、20歳の頃にはミュージカルダンサーとして活躍していた。だが日本のダンスが海外からのコピーによるものに抵抗を感じたのか、自分自身で創作ダンスを展開し、ストリートパフォーマーとして活動するようになっていく。
その後歌手の振り付けやコンサートなどのバックダンサーとしての出演、更にコマーシャルの振り付けなどにも取り組む。振り付けを手掛けたCMは現在まで多数オンエアーされている。振付を担当した歌手も多数に上るが、主なものとしてはサザンオールスターズ(これが縁で桑田に芸名を授かった)、福山雅治、SMAP、GLAY、大黒摩季、氣志團、沢田研二、吉川晃司、PUFFY、大塚愛などがある。
自らが率いるダンサーチーム「流石組」(さすがぐみ)で後継者の指導にも当たっており、年末のNHK紅白歌合戦では例年、複数の歌手のバックで「流石組」のクレジットを目にすることが出来る。
また、1980年代に活動していた伝説的なバンド「JAGATARA」にもコーラス・ダンサーとして参加していた。解散後には、同バンドのメンバーらと「TANGOS」というバンドでもボーカリストとして活動していた。
元夫の1人はロックバンドTHE BOOMの小林孝至(ギター)。
NHKのようこそ先輩という番組で母校である神奈川県藤沢市立片瀬小学校へ行き、生徒とともに校歌に振りをつけ全校生徒で踊ったことがある。