南信州新聞
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本社所在地 | 日本 〒395-0152 長野県飯田市育良町2丁目2番地5 |
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業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 新聞発行、印刷出版 |
代表者 | 関谷邦彦 |
特記事項:1954年10月1日創刊 | |
南信州新聞(みなみしんしゅうしんぶん)は、長野県飯田市に本社を置く、ローカル紙。南信州をエリアに、飯田下伊那地方の情報を中心とした日刊紙を発行している。発行部数は約2万3000部。媒体名は「南信州新聞」だが、題字は「新聞」を用いず「南信州」の3文字。2005年に創刊50周年。日本新聞協会加盟紙。
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[編集] 沿革
明治維新を経て、近代日本の黎明期となる明治初期、板垣退助らが主唱する自由民権運動が全国に拡がると、上川路(現飯田市上川路)の森多平らがこれに共鳴。啓蒙活動と鼓舞のために日刊新聞の創刊を思い立ち、飯伊のみならず、上伊那までの豪農や豪商、素封家に求めて資金を募り、飯伊第1号となる「深山自由新聞」を発刊した。同紙は通産107号、7万8143部を発行した。以降、飯田下伊那地方では、1902(明治35)年1月1日に「南信」、1926(大正15)年2月20日に「信濃大衆新聞」、1935(昭和10)年12月に「飯田毎日新聞」がそれぞれ創刊し、1939(昭和14)年8月3日に「南信」「信濃時事」「信濃大衆新聞」「飯田毎日」が統合し、「信州合同新聞」を発刊した。
1942(昭和17)年には第2次新聞統制により「信濃毎日新聞」1紙に統合したが、戦後、統制が解除になると飯伊の新聞は「南信時事」(1947年4月1日発刊)、「信州日報」(1948年6月3日)、「飯田の新聞」(1947年6月28日)の3紙に分裂した。1954(昭和29)年10月になると再び統合、「南信州」新聞が産声を上げた。現在の南信州新聞は、この日(1954年10月1日)を創刊日としている。第1号の1面が報じたニュースは「飯田市復興祭」。市街地の大半を焼失した1947(昭和22)年の飯田大火から7年半を経て、先行きが見え始めた街の一大イベントを報じた。その後、信州日報が再び分裂。この影響で飯田市松尾町から通り町に移転することになった。
1971(昭和46)年3月になると飯田市今宮町に社屋を移転。7年後の1978(昭和53)年4月7日に紙齢が10000号を数えた。その後、1981(昭和56)年にCTS(コールドタイプシステム)化、1985(昭和60)年に伊那谷初の電算写植機を導入、1987(昭和62)年にオフセット輪転機を増設してカラー印刷を開始するなど、設備の近代化に取り組む。
1993(平成5)年7月に本社を飯田市育良町に移転。以後、増設を繰り返して現在に至る。2004(平成16)年7月には全国27紙による日本地域紙協議会を東京都千代田区の市政会館に設置し、社長の関谷邦彦が初代理事長に就任した。2004年10月に創刊50周年。
[編集] 発行エリア(南信州)
15市町村で構成。長野県の最南端に位置し、静岡、愛知、岐阜の3県と接している。面積は香川県や大阪府の面積より広大。
[編集] 購読方法
宅配のほか、飯田市周辺地区15市町村の新聞販売店やコンビニエンスストアで店頭売りされている。一部売り70円。宅配は飯田下伊那地方の各新聞店で取り扱っており月額1500円、配達エリア外での郵送購読も可能。
[編集] 外部リンク
- 南信州新聞公式サイト
- 日本列島ふるさと新聞(日本地域紙協議会)