千倉真理
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千倉 真理(ちくら まり、1962年6月19日 - )は、日本のタレント。
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[編集] 来歴
東京都世田谷区出身。子供の頃は婦人雑誌でモデルをしたこともある。
成城大学卒。初等科からずっと成城学園で過ごした。高校3年生の時にはアメリカ・アリゾナ州へ1か月のホームステイに行っていたことがある。
大学1年生当時の1981年、文化放送の『ミスDJリクエストパレード』のコンテストで523人の中から優勝者に選ばれ、同番組のパーソナリティとして1984年3月まで出演。『ミスDJ - 』人気を支える存在となる。ミスDJ時代には、伊藤政則らとAC/DCの取材のためにアメリカに同行したことがあり、新人時代の佐野元春、ハウンド・ドッグと一緒に仕事をしたこともあった。
この他、『千倉真理の地球はまあるいよ』『港区海岸一丁目』『SCHOOLS OUT』などの番組でパーソナリティーを務め、愛らしい声と「やるっきゃない」で一躍有名になる。他にもラジオだけではなく、『ニュースステーション』にもレポーターとして出演、『朝日ジャーナル』の一般公募によるノンフィクション大賞にも「なにをかいわんや 女子大生!」という題の作品(約20,000字)で奨励賞を受賞をしたことがあった。
その後、外務省職員と結婚してイタリア・タイ・カナダ・フランスで生活していたが、現在は帰国して彼女の実家で商学関係の実務書で有名な千倉書房で、編集担当役員として出版・編集の仕事をしている。
2006年11月3日には、川島なお美と共に再び『ミスDJリクエストパレード』のパーソナリティを務めた。
[編集] エピソード
- 小学校5年生の時から大学1年生の夏休みまでクラブ活動はずっとバスケットボール部に所属、これは同じく成城に在学し、高校生時代に同じバスケットボール部の選手として全国大会に出場するなどの活躍ぶりを見せていたしていた母親の影響からだという。自身の中学卒業時には「体育優秀賞」を受けている。高校生時代はキャプテンを務めていた頃があり、金田正一の娘とチームメイトだったこともあった。
- ミスDJのコンテストでは優勝候補を2人まで絞って選考を進めていた時に、審査委員長を務めていた野末陳平の「千倉真理の優勝でなければ、私は委員長から降りる」というような一声から優勝が決まったという。なお、ミスDJ以前に『ザ・モーターウィークリー』(ラジオ関東 =現・アール・エフ・ラジオ日本)という番組に出演したこともあった。
- ミスDJ第一回目の放送中、24:40頃に原稿を無くして約30秒間沈黙したことがあったが、ここからの機転を利かせた喋りから「やるっきゃない」の名セリフが生まれたという。
[編集] 出演
[編集] ラジオ
- ミスDJリクエストパレード (文化放送)
- 千倉真理の地球はまあるいよ (文化放送、1987年4月まで)
- 港区海岸一丁目 (文化放送、1986年4月~1988年4月)
- SCHOOLS OUT (文化放送、1987年4月~1989年4月)
- 他
[編集] テレビ
- ニュースステーション(テレビ朝日、1985年~1986年の約6か月間)
[編集] 出版
- やるっきゃない英文読解 (柳瀬尚紀と共著、日本翻訳者センター(現・バベルプレス) 1984年4月)
[編集] レコード
- ※発売前に当時自分が担当していた『ミスDJ - 』でこの曲をかけたところ、その恥ずかしさのあまり絶句して放送事故を起こしそうになったという。また、1987年4月1日放送の『吉田照美のふッかいあな』(終了2日前)にゲスト出演した時にも、この曲がかかった時にスタジオを飛び出て回転中のプレイヤーからこのレコードを奪い取るというハプニングもあった。