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北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 - Wikipedia

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故(ほくたんゆうばりしんたんこうガスとっしゅつじこ)は、1981年(昭和56年)10月16日北海道炭礦汽船(北炭、以下略称で表示)の関連会社が経営する夕張炭鉱の一つ、夕張新炭鉱北海道夕張市)で発生したガス突出・坑内火災事故である。最終的に93人の死者を出す大惨事となり、日本石炭産業の崩壊を早めた。

目次

[編集] 北炭夕張新炭鉱

昭和40年代、日本の石炭産業は整理・淘汰の時代に入り、筑豊、北海道をはじめとした地域で次々と生産効率の悪い中小炭鉱が閉鎖に追い込まれた。その一方で国・業界は最新設備を導入した大規模炭鉱の開発を進めた。「スクラップアンドビルド」の言葉からこれらの炭鉱は「ビルド鉱」と呼ばれる。そのビルド鉱の一つが北炭で昭和50年(1975年)に出炭を始めた夕張新炭鉱であった。当時最新鋭の設備を誇り、また質の良い原料炭が採れたため、衰退が進んでいた夕張市の復興の鍵として、地域の期待を集めていた。

しかしその一方で、国の政策の中で徹底した効率化を迫られていた(当時北炭は国の政策下で公的援助を受けていたので国の意向に沿うことが会社の命題であった)ため、安全を無視しての無理な出炭が日常化していた。保安設備が整っていることも売りの一つであったが、1975年7月7日に5人の死者を出すガス突出事故が発生し「安全神話」が早くも崩壊。彼らの尊い犠牲にもかかわらず無理な出炭は続けられた。

[編集] 経緯

  • 1981年10月16日午前0時、海面下810メートル、坑口より約3,000メートルの北部区域北第五盤下坑道のメタンガスセンサーに異常値が出ていることを地上の制御室が確認。ガスの突出事故の発生を確認し、直ちに会社側が組織した救護隊が救出作業を開始した。77人は自力で脱出することができたが、救護隊により34名は遺体で収容、ほか10名を坑内で死亡確認している。しかし、同日午後10時30分頃にガス爆発による坑内火災が発生、救護隊の10名も巻き込まれる二次災害となった。作業服の持つ静電気が原因で充満したガスが発火したと推測されている。
  • 爆発後は坑内に大量の黒煙と熱が充満し、火災も収まる兆しが見えなかったことから密閉作業が行われた。密閉作業は坑口を塞ぐもので、坑内の避難器具(通称ビニールハウス)への空気供給を止めるものではなかったが、それでも火災が収まらなかったことから、会社側は注水による鎮火の検討に入った。
  • この時点で坑内には59名の安否不明者が取り残されており、注水は坑内にいるこれらの不明者を見殺しにする措置の為、安否不明者の家族の猛反発を受けた。中には林千明社長(当時)に「お前が入れ」と迫る者もいた。
  • 注水の是非を巡る議論が白熱する中、生存者の有無を確認する為に捜索隊が坑内に入る。だが、爆発の衝撃で坑道の至る所で落盤が発生しており、救出活動を続行する事は危険と判断された。(捜索中、立ったまま死亡していた労働者の遺体も確認された。)
  • 林千明社長は「お命を頂戴したい」と家族達に注水への同意を求め(林千明社長はその後自殺未遂事件を起こしている)、結局、10月22日に全員の家族の同意書を取り付け、翌10月23日、サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。
  • 約4ヶ月の注水作業、その後の排水作業により遺体の収容作業が再開されたものの、遺体収容・確認作業は難航を極め、最後に残っていた遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年3月28日のことであった。
  • 最終的な死者は93人で、炭鉱事故としては、1963年三井三池三川炭鉱炭じん爆発福岡県大牟田市)の458人、1965年の三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市))ガス爆発事故の237人に次ぐ、戦後3番目の大惨事である。

[編集] その後

  • この事故は新炭鉱に命運を懸けていた北炭に壊滅的な打撃を与えた。新炭鉱の運営を委託されていた子会社北炭夕張炭鉱(株)は2ヶ月後に倒産、新炭鉱も事故から1年後の1982年10月に閉山に追い込まれた。北炭はその後も夕張以外の炭鉱で採炭を続けていたが、1995年空知炭鉱(歌志内市)の閉山をもって石炭から撤退、同年に会社更生法の適用を受け事実上の倒産に追い込まれた。
  • 行方不明者を見殺しにする注水作業は、事故当時でもショッキングな出来事であり、注水の行為の是非や実施のタイミングが世間で多くの議論を呼んだほか、炭鉱のイメージそのものを失墜させた。
  • 日本の石炭業界は、当時のオイルショックによる石炭見直しの風潮の中復活の機運もあったが、この事故によってその希望は吹き飛ぶ結果となった。それに拍車をかけるように、三井三池炭鉱有明抗坑内火災(1984年、死者83人)、三菱南大夕張炭鉱ガス爆発(1985年、死者62人)と同じような最新鋭鉱で事故が立て続けに発生し、日本の石炭産業の崩壊は決定的なものとなったのである。
  • この事故により石炭産業の衰退は決定的となり、夕張市は「炭鉱から観光へ」の流れを加速させ、過大な観光開発へ突き進むこととなる。そのことが、後に財政再建団体へと転落する大きな要因となった。
  • 現在も、清水沢には夕張新炭鉱の文字が残る坑口(鉄格子で閉鎖)と慰霊碑が残る。

[編集] 関連項目


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