北条業時
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北条 業時(ほうじょう なりとき、1241年(仁治2年) - 1287年8月13日(弘安10年6月26日))は鎌倉時代中期の北条氏の一族。父は北条氏極楽寺流の北条重時。妻は執権北条政村の娘。子には北条時兼、孫には執権となった北条基時がいる。将軍は惟康親王。執権北条時宗の後半から執権北条貞時の初期に連署と就る。
[編集] 経歴
※日付=旧暦
- 1259年(正元元)4月7日、従五位下に叙し、弾正少弼に任官。 7月27日、左馬権頭に遷任。
- 1265年(文永2)6月11日、幕府の引付衆と就る。
- 1266年(文永3)、引付衆退任。
- 1269年(文永6)、引付衆再任。
- 1276年(建治2)3月、評定衆に異動。
- 1277年(建治3)5月18日、越後守に遷任。 8月29日、三番引付頭人を兼帯。
- 1280年(弘安3)11月4日、駿河守に遷任。
- 1281年(弘安4)、三番引付頭人から一番引付頭人に異動。
- 1283年(弘安6)4月16日、連署に異動。 7月20日、従五位上に昇叙。駿河守如元。 9月26日、正五位下に昇叙。駿河守如元。
- 1284年(弘安7)8月8日、陸奥守に転任。
- 1287年(弘安10)6月18日、出家。 6月26日、卒去。享年47。 法名:普恩寺全念。また、監忍。