勾玉
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勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、古代の日本における装身具の一つである。曲玉とも呼ばれる。
Cの字形またはコの字形に湾曲し、玉から尾が出たような形をしている。丸く膨らんだ一端に穴をあけて紐を通し、首飾りとした。孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼ぶ。多くは翡翠、瑪瑙、水晶、滑石で作られ、土器製のものもある。その形状は、元が動物の牙であったとする説や、太極図を表すとする説、母親の胎内にいる初期の胎児の形を表すとする説などがある。古代から、「魔を避け、幸運を授かる物」とされていた。
現在では縄文時代極初期のケツ状耳飾りが原型であると考えられており[1]、日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。朝鮮半島へも伝播し、B.C.6世紀から3世紀初頭の無文土器時代にアマゾナイト製の勾玉が見られる[2][3]。 縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期にはC字形の勾玉が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化する。縄文時代を通じて勾玉の大きさは、比較的小さかった。
弥生時代中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉が作られ始め、古墳時代ごろから威信財とされるようになった。1993年に東京都板橋区四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土している。
古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。大阪府和泉市黄金塚古墳では、大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。古墳出土の勾玉の大きなもので3~4センチメートルであるが、1912年発掘の大阪府堺市の塚周り古墳(大山古墳の陪墳か)出土の大勾玉は、長さ約6センチメートルである。
古墳時代前期の博労町遺跡から、全国初の2個が背中合わせになったX字形の勾玉が発掘された。鳥取県米子市の博労町遺跡から発掘。産経新聞2008年4月4日付より。
天皇家に伝わる三種の神器の一つに、八尺瓊勾玉という勾玉が数えられる。また武寧王陵など韓国内の王墓からも発掘されており、これらは日本から伝来したものという説が有力である。
[編集] 脚注
- ^ 鈴木克彦「縄文勾玉の起源に関する考証」(2006、『玉文化』3号)
- ^ 李仁淑・川崎保訳「朝鮮先史曲玉に関する小考」(1996、古文化談叢36号)
- ^ なお、多量の縄文系遺物が出土する韓国・東三洞貝塚からは縄文前期のものと同様のケツ状耳飾が出土している。
[編集] 参考文献
藤田富士夫「玉」(1989、ニュー・サイエンス社)