内閣職権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内閣職権(ないかくしょっけん)とは、日本において、内閣総理大臣の職務及び内閣運営方法を定めた規則。明治18年(1885年)12月22日制定。1889年に内閣官制の制定により廃止。
目次 |
[編集] 概要
1885年(明治18年)の太政官達第69号により太政官制から内閣制へ移行され、内閣総理大臣の権限等を定めるために伊藤内閣が内閣職権を制定する。1889年の内閣官制によって内閣職権はその役目を終えた。
1889年に制定された内閣官制との大きな違いは内閣総理大臣権限の強弱である。
内閣職権において内閣総理大臣は内閣の統率者(首班)としており総理大臣に強い権限が与えられたのに対し内閣官制では内閣総理大臣は他の国務大臣と同等なものとなり総理大臣の権限は弱められた。 これは帝国憲法第五十五条の〝國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス〟に合わせるためだといわれる。
[編集] 原文
※一部環境によっては表示されない文字があります。
第一條 内閣天皇ノ直轄ニ屬シ大權ノ施行ニ關シ國務大臣輔弼ノ任ヲ致ス所トス
第二條 内閣總理大臣ハ内閣ノ首班トシ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示スヘシ
第三條 内閣總理大臣ハ内閣ノ會議ヲ總括シ議事ヲ整理スヘシ
第四條 内閣總理大臣ハ行政全部ヲ統督シ各部ノ成績ニ付説明ヲ求メ及ヒ之ヲ檢明スルコトヲ得
第五條 凢ソ法律勅令ニハ内閣總理大臣之ニ副署シ、其各省主任ノ事務ニ屬スルモノハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ
第六條 各國務大臣ノ任免ハ内閣總理大臣之ヲ奏宣シ、内閣總理大臣ノ任免ハ首席國務大臣之ヲ奏宣ス
第七條 各大臣事故アルトキハ臨時命ヲ承ケテ他ノ大臣其事務ヲ管理スルコトアルヘシ
[編集] 備考
戦前の日本の立憲制がドイツ(かつてのプロシア)の制度を模範とした事は知られているが、内閣職権は当時のドイツ帝国の内閣制度ではなく、イギリスの議院内閣制の影響も含まれた「ハルデンベルグ官制」(1810年のプロシアの官制)をモデルにしたとされている。これは、自由民権派が求めるようなイギリスの議院内閣制そのものは否定して天皇の権威の絶対化を目指すものの、同時にドイツ帝国の体制は皇帝の権限が強すぎるためにそのまま導入した場合、当時明治天皇からの信任が厚かった宮中保守派(中正派)が求める「天皇親政」への道を開き兼ねないとというジレンマの中で、天皇の権威の確立と政治への直接関与の阻止という両方を実現するための苦肉の策でもあった。
[編集] 参考文献
- 坂本一登『伊藤博文と明治国家形成―「宮中」の制度化と立憲制の導入―』(吉川弘文館、1991年) ISBN 464203630X
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 内閣職権テキスト 『史料にみる日本の近代』国立国会図書館
- 『1 内閣制度の創設』 首相官邸