入れ墨
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入れ墨(いれずみ)とは、墨を人の皮下に入れること、または施術された文様。イレズミという言葉は、入れ墨、 入墨、文身、 剳青、 黥、 刺青、色々な漢字で書かれる(文身は「ブンシン」とも)。「彫り物」も入れ墨をさして使われる事がある。特に西洋の影響で施す入れ墨をタトゥー(英: tattoo)(仏:Tatouage)と呼びわけることが多い。
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[編集] 概説
身体の装飾や地位・身分を表したり、目印や信仰のためなど、入れ墨を入れる理由は多様である。 入れ墨とタトゥーは、皮膚に色を刺す行為自体は同じなので、用語以外に違いはなく、翻訳の際には混同される。
入れ墨の絵は単純な模様から、複雑な模様まで多くある。皮膚に色を刺す行為は古代から世界中であり、刑罰、成人男子や既婚の女性であるなど、身分や所属の違いを表すことが多かった。
近年では若者の間で専らファッションとして入れられることが多いが、暴力団関係者の象徴とされているため、日本では現代でも公衆浴場(スーパー銭湯も)や遊園地、プール、ジム、ゴルフセンター等への入場を断られたり、周囲に悪い噂が立つなど社会生活上の不都合も少なくない。また江戸時代に刑罰の印しとして墨を入れられたことなども背景として考えられる。一部の人間の間では今日刺青の社会的な意味合いが嘗てとは異なる場合もあるが、社会通念上、刺青は社会から受け入れられることが少ない。
暴力団追放のキャンペーンとして一概に排除することが適切であるか、人権上の問題として議論されつつある[要出典]。
韓国では文身(ムンシン)と呼ばれる。併合時代(韓国では日帝時代という)に日本から入った文化ともいわれるが、それ以前の李朝時代(韓国では朝鮮時代という)にもすでに入墨の文化はあった。李朝時代の歴代の王の治世を記録した「実録」の第四代の世宗王(1397-1450)の記録によると、皇太子(韓国では世子)の側室と女官が同性愛にふけったというスキャンダルがある。以後、女性同士のお互いの愛情の証として「朋」という文字の入墨を尻に密かに入れるという風習が宮中であったと記録されている。
近年の韓国では、徴兵逃れをするために入墨を入れるものもいて、摘発されている。 入墨を施す技術に関しては日本の彫り師の評判が高く、日本から呼び寄せた彫り師を数週間、韓国に滞在させて、入墨を施してもらったり、色味を修正してもらう韓国のヤクザもあり、これも過去、摘発例がある。
フィリピンでは入国の際、入国を待つ列から無作為に選び、Tattooチェックをする。タトゥーが見つかると、入国拒否をチラつかせながら、暗に裏金を要求する空港職員がいる[要出典]。この場合、無作為(ランダム)に列から選ばれるので、外見に気をつけていても関係ない。こういった話は、ベトナムにもあるようだ。
[編集] 日本の入れ墨
[編集] 古代
縄文時代の土器の人形の縄文式文様は入れ墨のしるしだとする説があるが、確証はない。
3世紀の日本について記した『魏志』倭人伝は、男子がみな黥面文身していたと伝える。文身とは、顔以外の身体に入れ墨をすることであり、黥面とは顔に入れ墨をすることである。
時代が下って、『日本書紀』の記事中にも、入墨についての記事がある。武内宿禰の東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある(景行27年2月条)。履中天皇が住吉仲(すみのえなか)皇子の反乱に加担した阿曇野連浜子(あずみのむらじはまこ)に、罰として黥面をさせた。河内飼部(かわちのかいべ)の黥面をやめさせた(履中元年4月条、同5年9月条)。宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)とした(雄略11年10月条)。阿曇野連は漁民でもある海部(あまべ)を統括する氏族であり、河内飼部は馬の飼育にかかわる河内馬飼部(うまかいべ)のことであり、また鳥の飼育をするのが鳥飼部である。これらは、生き物を飼う職能集団であるという共通性がみられる。飼育している生き物からの危害を避け、威嚇する意味も含めて、こうした呪術的意味を含み黥面をしていたと推側する研究者もいる。
[編集] 江戸時代の入れ墨
江戸時代中期以降は「いれずみ」は刑罰の一部を指し、それ以外のものは「ほりもの」と呼ばれた。ただし、その由来は古代中国に存在した墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡る事が出来る(前漢の将軍・黥布は若い頃に顔に罰として入れ墨を施された事から逆に自ら名乗ったのだという)。
刑罰としての入れ墨は、顔など一見してわかる場所に施されたものも多いが、江戸時代には左腕の上腕部を一周する形で二、三本のライン(単色)を彫るものであった。(これは地域によって模様が違う。地方によっては額に入れ墨をし、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字をいれたところもあった。五度目は死罪になる。)これに対し「彫り物」は主に江戸火消し(鳶)が粋を見せるためや、漁民が出漁中に遭難死した場合の身元確認用に用いられていたようである。どちらも呼び名は異なるが、もちろん同じ刺青である。ただし入れ墨は刑罰として用いられたため、呼称として彫り物と呼ぶほうが好まれる。
江戸時代の浮世絵など文化的成熟を通して、装飾としての彫り物の技術も発展した。背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな彫り物が、江戸時代に完成した。
十九世紀に入るとその流行は極限に達し、博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業では、彫り物をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。幕府はしばしば禁令を発し、厳重に取り締まったが、ほとんど効果は見られず、やがてその影響は武士階級にも波及していった。旗本や御家人の次男坊・三男坊や、浪人などの中にも、彫り物を施す者が現れるようになった。「遠山の金さん」で有名な遠山景元が彫り物を入れていたのは、恐らく事実である。しかし、それがドラマの中で見られるような、いわゆる「桜吹雪(桜吹雪を大きな額でつなぐ)」であったかどうかは定かではない。他に、桜一輪や骸骨、女の生首など、諸説ある。
また下総小見川の藩主内田正容などは、一万石の知行を持つれっきとした大名でありながら彫り物を入れていたと言われる。ただし正容の場合は、さすがに幕府も看過することはできなかったようで、後に不行跡を理由に隠居を命ぜられた。
そして明治時代になると、入れ墨のような野蛮なものは文明開化に相応しくないとして、一層厳しく取り締まられることとなった。特に彫師は非合法な存在として、取り締まりを恐れて住居を転々と移した。しかし日本伝統刺青の噂は、外国船の船乗りを通じて世界に広く知られていて、英国王室の皇太子が来日の際、日本側の反対にあいながらも、ある彫師を呼び出し彫らせたという話や、皇太子時代のニコライ2世も長崎で彫り物を入れたことが知られている。
アイヌ民族や南西諸島住民(旧琉球王国領域地方)にも入れ墨が見られた。南西諸島の場合は女性だけである。明治22年10月21日に沖縄にハジチ(イレズミ)禁止令がだされた。沖縄本島にもあるが、宮古島の場合は11,13歳に施し成女儀礼であったと笹森儀助が書いている。またそれがないと、後生(死後の世界)に行けないとあり、かなり強制力があったようである。高齢になり平成の初めまでみられたが、宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様もある。老女に尋ねると、胸を張って誇らし気であった。
[編集] 現在の日本での入れ墨
女性の眉など、化粧として数年で薄くなる(消えはしない)ことを目的に、針の深度を浅くしたアートメイク・タトゥーのほか、イスラム圏の女性が施すヘナ(植物性の染料)を用い、手に模様を描く(染料なので消える)ものもある。
入れ墨は谷崎潤一郎の作品『刺青』(しせい)発表以降、一般的には「刺青」と書く事が多い。 その呼び名は人によって異なり、皮膚に墨を定着させるという行為においては、どれも同じものを指している。刺青という行為を否定的に捉えるか、肯定的に捉えるかで呼び名を使い分けているのが現状である-入れ墨(江戸時代の刑罰から派生したため、否定的)、彫り物・刺青(肯定的)。
他に呼称として、タトゥーを洋彫り、刺青を和彫りと呼んで区別する。しかしマシーンを使ったから洋彫り、手で彫ったから和彫りとはいえない。絵の画風や全体の様子で判断する。和風の絵でも筋(アウトライン)はマシーンで、ぼかしは手彫りで行うなど、手法は彫師により千差万別である。
日本の刺青は海外での評価も高く、その歴史や伝統の継承なども含めて、多くの賞賛と尊敬を受けている。
欧米では漢字を入れるタトゥーも流行っているが、漢字を母国語として使用する人々からみると、その字体や意味用法など奇妙に見えてしまうこともあり、日本の梵字ブームなども併せて、彫る前には慎重な検討が必要となる。尚、刺青を完全に消すのは、技術上非常に難しい。
未成年者に入れ墨を施す行為は、各都道府県・自治体の青少年保護育成条例等によって禁止されており、発覚した場合は彫師が処罰される。オートクレーブ(加圧加熱減菌)などでは、血の固まりの中のウイルスや変質した蛋白質を死滅させる事はできず、通常の針の殺菌・滅菌処理では、ウイルスの感染を防げないことを知らない施術者たちが、不衛生な設備で施術を行っている。特にC型肝炎の伝染に注意する必要が有る。
若者のファッションとしてのタトゥの普及により、従来のような刺青に対する社会の拒否感は、幾分か和らいだように見受けられる。しかし実情として暴力団の組員に刺青が多いというのも事実である。但しそうした関係者は必ず刺青があるという訳ではない。例えば安藤組は刺青禁止とされており、なぜ暴力団関係者に刺青が多いのかというと、刺青を入れることで、社会からの離脱と帰属組織への忠誠を表したり、痛みに耐えて消えない刻印を背負うことで覚悟を示す、また“彫り物をしている”と流布する事で周囲を威圧する、等の理由が有るとされる。
美容外科では以前よりイレズミ除去の手術がおこなわれているが、肌の表面を削りガーゼで顔料をすいとる方法を繰り返したり、自家植皮をしたり、小さければ縫い合わせたり、レーザーで色素を分解したりする。しかし、これらは跡が残る上、再三に亘る手術が必要であり、施術者も患者も、忍耐と費用が必要な難治療であるとされる。入れ墨を入れる際は、これらの事例を十分に考慮する必要が有る。
近年は手軽な代替手段として、模様の印刷された極薄のフィルムに超微粒子の顔料を使用した、プラモデルの耐水デカールの様に肌に転写する「タトゥーシール」もあり、ファッションの一部として用いられている。
[編集] 「入れ墨」の単語リスト
- 手彫り (テボリ)-- 柄の先で針を束ね、手を動かして肌に墨を入れる。
- 羽彫り (ハネボリ)-- 手彫りのテクニック。針を皮膚に刺した後、針先を跳ね上げることで、穿孔が広がり色素が多く入る。
- 突き彫り (ツキボリ) -- 手彫りのテクニック。
- 隠し彫り (カクシボリ)-- 腋下・内股など他人には見られにくい場所に、花びらなどで隠れた名前や言葉、淫靡な絵を彫る。
- 毛彫り (ケボリ)-- 人物や動物の毛の部分を彫ること。通常よりも細い針で彫ることが多い
- 筋彫り(スジボリ) -- 下書きとしてボカシの前に全体のアウトラインを彫る。
- ボカシ(あけぼの) -- 墨の濃淡や各色を用いて、全体を彫っていく。
- ツブシ -- 塗りつぶすこと
- シャッキ -- 手彫りの音
- 機械彫り (キカイ・マシーンボリ) -- マグネットの磁力または、モーターのロータリー運動を用い、機械の上下運動により肌に針を刺す。束ねられた針には、浸透圧により墨が蓄えられる構造。
- 半端彫り(ハンパボリ) -- 彫りの痛みに耐えられなかったり、費用が続かないなどで、絵が途中までで終わっていること。
- 白粉彫り(オシロイボリ) -- 血行が盛んになると浮き出ると言われている彫り物のこと。創作上の話であり、現実には不可能である。蛍光塗料を用いて、ブラックライトに浮かび上がる刺青は存在するが、やはり通常の状態でも絵の存在は見える。
[編集] 関連書籍
- Donald Baruma and Ian Ritchie, The Japanese Tattoo (英語)
- 中野 長四郎 「刺青の真実―浅草彫長「刺青芸術」のすべて」 / 彩流社 ISBN 978-4882027409
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク