五社英雄
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五社 英雄(ごしゃ ひでお、本名:同じ字で「ごしゃ・えいゆう」、1929年2月26日 - 1992年8月30日)は、映画監督・脚本家。東京都出身。明治大学商学部卒業。ニッポン放送を経て、フジテレビへ。
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[編集] 来歴
- テレビドラマの『刑事』や『ジキルとハイド』では、プロデュースも担当。原作・脚本・監督とこなす映画監督でもあった。
- 『ひらけ!ポンキッキ』の企画にも携わり、企画書を提出した人物でもある。
- 代表作は時代劇『三匹の侍』。テレビドラマ放送後に映画化され、続編も作られた。また時代劇監督としても知られ、数々の時代劇作品を撮り続けた。
- 1980年に銃刀法違反の容疑で逮捕され、フジテレビを解雇される。その後の活動再開第1作が『鬼龍院華子の生涯』である。
- 1985年には自ら映画制作プロダクション「五社プロダクション」を設立。
- また、映画『世界最強のカラテ キョクシン』(1985年、極真映画製作委員会)の総監修や、映画『陽炎II KAGERO』(1996年、松竹・バンダイビジュアル)の脚本監修も手がけていた。
- 後年、監督としての名声を博して後に、二代目彫芳の手による刺青を、全身に彫ったことを娘に明かした。
- SMの趣味があった。
- 安藤昇と親友。『新三匹の侍』の企画段階で、五社自ら安藤をレギュラーに推薦して起用した。
[編集] 作品
[編集] テレビドラマ
特に記述がないものはフジテレビで放送。
- いくじなし(東芝土曜劇場)
- やせ犬(東芝土曜劇場)
- ろくでなし(東芝土曜劇場)
- 刑事(1959年、1965年)
- トップ屋(1960年)
- むしけら(1960年)
- 宮本武蔵(1961年)
- 夜を探せ (1962年)
- 泡の女(1963年)
- 三匹の侍(1963年~1965年)
- 甲州遊侠伝 俺はども安(1965年)
- 眠狂四郎(1967年)
- 雪之丞変化(1970年)
- 新三匹の侍(1970年)
- 岡っ引どぶ どぶ野郎(1972年、関西テレビ)
- ジキルとハイド(製作・1969年、放送・1973年)
- 無宿侍(1973年)
- 唖侍鬼一法眼(1973年、日本テレビ)
- 丹下左膳 剣風!百万両の壺(1982年)
[編集] 映画
- 人斬り(1969年、フジテレビ・勝プロダクション)
- 雲霧仁左衛門(1978年、松竹・俳優座)
- 闇の狩人(1979年、松竹・俳優座)
- 鬼龍院花子の生涯(1982年、東映・俳優座)
- 陽暉楼(1983年、東映・俳優座)
- 北の螢(1984年、東映・俳優座)
- 櫂(1985年、東映京都)
- 薄化粧(1985年、松竹・五社プロ・映像京都)
- 極道の妻たち(1986年、東映京都)
- 吉原炎上(1987年、東映京都)
- 肉体の門(1988年、東映京都)
- 226(1989年、フィーチャーフィルムエンタープライズ)
- 陽炎(1991年、バンダイ・松竹)
- 女殺油地獄(1992年、フジテレビ・京都映画)
[編集] 脚本・監督
- 三匹の侍(1964年、松竹京都)
- 獣の剣(1965年、俳優座)
- 五匹の紳士(1966年、俳優座)
- 丹下左膳 飛燕居合斬り(1966年、東映京都)
- 御用金(1969年、フジテレビ・東京映画)
- 出所祝い(1971年、東京映画)
[編集] 原作・脚本
- 牙狼之介(1966年、東映京都)スクリプター
- 牙狼之介 地獄斬り(1967年、東映京都)
- 暴力街(1974年、東映東京)
- 十手舞(1986年、松竹・五社プロ・映像京都)
[編集] 原案
- 暴力街(1974年、東映東京)
- 牙狼之介地獄斬り(1967年、東映)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク・参考文献
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- 『さよならだけが人生さ - 五社英雄という生き方』五社巴 ASIN: 4062063611
- テレビドラマデータベース
- 日本映画データベース