児島郡
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児島郡(こじまぐん・こしまぐん・こしまのこおり・こじまのこおり)は、岡山県および備前国にかつて存在した郡。 灘崎町が2005年3月22日に岡山市に編入合併され児島郡は消滅した。
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[編集] 消滅した町
- 東児町(とうじちょう) - 1974年3月20日に玉野市へ編入合併
- 興除村(こうじょそん) - 1971年5月1日に岡山市へ編入合併
- 藤田村(ふじたそん) - 1975年5月1日に岡山市へ編入合併
- 灘崎町(なださきちょう) - 2005年3月22日に岡山市へ編入合併
[編集] 沿革
- 明治11年7月22日 郡区町村編制法施行:郡役所は味野村
- 明治22年6月1日 町村制施行(31村)
- 明治29年2月26日 下津井村が町制施行して下津井町となる。(1町30村)
- 明治31年1月1日
- 玉井村が改称して八浜村となる。
- 大門村が改称して小串村となる。
- 明治33年2月1日 下津井町吹上を長浜村に編入
- 明治34年2月6日 八浜村が町制施行して八浜町となる。(2町29村)
- 明治36年4月1日 (2町27村)
- 下加茂村・上加茂村・秀天村(迫間・槌ヶ原)が合併して荘内村となる。
- 秀天村大崎が八浜町に編入。
- 明治37年4月1日 福田村・福田新田村・呼松村が合併して福田村となる。(2町25村)
- 明治38年4月1日 東興除村と西興除村が合併して興除村に。(2町24村)
- 明治39年
- 3月28日 味野村が町制施行して味野町となる。(3町23村)
- 4月1日 (4町19村)
- 福岡村・木見村(木見・尾原)・彦崎村(植松)が合併して郷内村に。
- 木見村の一部(山村)が田ノ口村に編入
- 灘村・彦崎村(彦崎・川張)が合併して灘崎村に。
- 日比村・玉野村(玉)が合併して日比町となる。
- 玉野村(宇野)・田井村の一部が合併して宇野村に。
- 田井村の一部が八浜町に編入
- 明治40年
- 4月1日 田ノ口村と鴻村が合併して琴浦村となる。(4町18村)
- 10月1日 下津井町と長浜村が合併して下津井町となる。(4町17村)
- 明治45年4月1日 藤田村が児島湾干拓地第2区に設立。(4町18村)
- 大正4年
- 11月1日 琴浦村が町制施行して琴浦町となる。(5町17村)
- 11月10日 藤戸村が町制施行して藤戸町となる。(6町16村)
- 大正8年1月1日 宇野村が町制施行して宇野町に。(7町15村)
- 昭和3年11月1日 小田村が町制施行改称して児島町となる。(8町14村)
- 昭和5年8月1日 福田村浦田を倉敷市に編入
- 昭和10年1月1日 赤崎村が町制施行して赤崎町に。(9町13村)
- 昭和15年8月3日 宇野町と日比町が合併して玉野市となる。(7町13村)
- 昭和16年2月11日 赤崎町が味野町に編入。(6町13村)
- 昭和22年12月9日 福田村が町制施行して福田町となる。(7町12村)
- 昭和23年4月1日 (4町11村)
- 味野町・下津井町・児島町・本荘村が合併して児島市となる。
- 興除村の一部を都窪郡茶屋町に編入
- 昭和24年4月1日 灘崎村が町制施行して灘崎町となる。(5町10村)
- 昭和25年9月1日 粒江村が倉敷市に編入。(5町9村)
- 昭和27年4月1日 甲浦村が岡山市に編入。(5町8村)
- 昭和28年
- 6月1日 福田町が倉敷市に編入。(4町8村)
- 7月1日 山田村が玉野市に編入。(4町7村)
- 昭和29年
- 2月1日 荘内村の一部を琴浦町に編入
- 3月1日 鉾立村と胸上村が合併して東児町となる。(5町5村)
- 4月1日 (5町3村)
- 荘内村が玉野市に編入。
- 小串村が岡山市に編入。
- 12月1日 (4町3村)
- 藤戸町が倉敷市に編入。
- 興除村の一部を倉敷市に編入
- 昭和30年2月1日 八浜町が玉野市に編入。(3町3村)
- 昭和31年4月1日 児島市と琴浦町が合併して児島市となる。(2町3村)
- 昭和34年3月1日 郷内村植松が灘崎町に編入、残りが児島市に編入。(2町2村)
- 昭和46年5月1日 興除村が岡山市に編入。(2町1村)
- 昭和49年3月20日 東児町が玉野市に編入。(1町1村)
- 昭和50年5月1日 藤田村が岡山市に編入。(1町)
- 平成17年3月22日 灘崎町が岡山市に編入。(児島郡消滅)
[編集] 古代~江戸時代
- 『古事記』で吉備兒島として初見。ちなみにこれが吉備の初見でもある。『日本書紀』では吉備子洲(きびのこじま)と記されている。
- 現在は半島だが、昔は島だった。江戸時代に行われた大干拓事業により本土とつながり児島半島となった。
- 児島と本土の間の海を吉備の穴海と呼んだ。
- 備前国内神名帳には小豆郡の名があり、少なくともこのころには児島郡より分立していた。その後、小豆郡の名は消えており、再び児島郡に併合されている。
- 「児」は、兒・子・仔などが、「島」は洲などの字が当てられることも多かったが、郡区町村編制法施行時に「児島」の表記に統一された。
- 備前国だった香川県の小豆島や直島諸島の直島・豊島なども児島郡だった。明治初期に岡山県から香川県へ移管されたときに小豆島は小豆郡(しょうずぐん)となり直島・豊島などは香川郡に編入された。