郡制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郡制(ぐんせい)とは、明治期から大正期にかけて府県と町村との間に位置する郡を地方自治体として定めた日本国内における法律である。1890年(明治23年)5月に公布。
[編集] 概要
江戸時代までの郡は明治初年の大区小区制のもとでは無視され、住民の反発が大きかったことから、1878年(明治11年)郡区町村編制法を制定し、旧来の郡を行政単位として認め、郡役所と郡長(官選)が置かれた。郡には議決機関として郡会と郡参事会が設けられ、郡会議員は3分の2が各町村議会の互選、残りの3分の1が所有している土地の地価が1万円以上の大地主の互選とされ、郡参事会は郡長と府県知事が任命する郡参事会員(名誉職)により構成された。郡には課税権がなく、また内務大臣・府県知事の監督下にあり、郡長は国・府県の出先機関として町村の戸長を通じて中央の行政命令を下達する機関に過ぎなかった。郡の分置廃合への反対が強かったため、全府県に郡制が施行されたのは1899年(明治32年)に郡制が改正されてからである。
日露戦争の後頃から郡制廃止の問題が起こり、1921年(大正10年)原敬内閣は郡制廃止を実施し、郡会は1923年に、郡役所と郡長は1926年に廃止となった。以後郡は単なる地理的名称として残ることとなった.