信者
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信者(しんじゃ)
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[編集] 概説
実際に信仰している者を指すことが多いが、宗教的な組織の名簿に形式上名前が掲載されているだけの人まで指すこともあり、境界がはっきりしないことも多い。本来の意味での「信者」は一般的に肯定的な意味で用いられている[1]。
[編集] 各宗教において、人が信者と認知されるステップ
以下に代表的な宗教(世界宗教、信者数が多いもの)での例を挙げる。[2]
[編集] キリスト教
- カトリック
カトリックにおいては洗礼を受けた、ということをもってして信者になったとされる。カトリックでは、幼児洗礼の制度があり、赤ちゃんのうちに洗礼を受けて、それによって信者として認知されるので、カトリック国の人々の大半は、"ある段階で信者になった"というような意識は持っていないことが多い。 一方、大人になってから信者になった人は、信者になったという意識の変化と洗礼の体験が分かち難く結びついている。
[編集] イスラム
イスラム教では、親の片方がイスラム教徒ならば、その子は自動的にイスラム教徒として認知される。イスラム国の一般的な人々のためには、信者となったことをはっきりさせるための特別な儀式は存在していない。では、もともとイスラム教徒でなかった人がイスラムの信者として認知されるためにはどうしたらよいかというと、イスラム教の指導者であるイマームの前で「アッラーのほかに神はない、ムハンマドはアッラーの使徒である」と唱えれば、それをもってしてイスラムの信者として認知されることになる。イスラム法やシャーリアでは、イスラム教徒になるための規定や必要事項などは特に定められておらず、結局は本人が上記の宣言において唱えたような意識を持ち、自身がイスラム教徒だとの自覚を持ちさえすれば、信者になれるということであり、障壁らしい障壁もなく、比較的簡単である。
[編集] 仏教
仏教の事例でも、特に日本での実際や名称について説明すると以下のようになる。
- 一般の信者(在家)
特に定まっていない。若干の例外はあるものの、大半の信者は、元々檀家であるというだけでも、特に儀式にも参加しなくとも、仏教の信者と認知されている。[3]
- 出家者
「得度」という儀式がある。僧侶としての戒めである戒律を授けられ、剃髪を行う。この時、僧侶としての名前である戒名あるいは法名を与えられる。
[編集] 比喩的な意味での「信者」
熱狂的なファンであることから、単に多少入れ込んでいる程度の者のことまで指すこともある。
「彼女はビートルズ信者だ」「彼はUnixの信者だ」のように用いられる。
懐疑主義者(信じることは悪いことだと信じている人)で「信じる」という言葉を聞いて機械的に悪い意味を連想する人にようになっている人の場合は、「信者」という言葉を強い否定的な意味で使うこともある。
「彼は科学主義(科学崇拝)の信者だ[4]」のように用いられる。この表現では、"彼は科学をその実態以上に評価しすぎている" あるいは "彼は自然科学を盲信している" というような意味になる。
[編集] 関連項目
[編集] 出典 脚注
- ^ 例えば、全世界で20億人を超えるキリスト教徒のあいだでは、キリスト教の「信者」(クリスチャン)と言えば、同じ確固たる価値観を共有している人、ということになり、(たとえ人が誰も見ていない状況でも)その行動が信用できる人、というようなニュアンスが伴い、非常に肯定的な意味で用いられている。 イタリアなどのキリスト教国で、あえて「彼はどこの宗教の信者でもない」などと表現している時は、それは "彼は価値観や道徳観も定まっていない人だ" 、さらには " 状況次第では衝動・私利私欲・物欲などに駆られて犯罪行為もやりかねないアブナイ人だ" 、というニュアンスが伴っていることが多い。
- ^ 出典:島田裕巳『宗教常識の嘘』朝日新聞社 p.81-86
- ^ 例外としては、浄土真宗では、門徒(在家信徒)に対して「帰敬式(帰敬式〈おかみそりとも〉)」の受式運動を推進していて、法名を授かる事を推奨されている。
- ^ an adherent of scientism (用例の出典: プログレッシブ和英中辞典)