保戸島空襲
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保戸島空襲(ほどじまくうしゅう)は、昭和20年(1945年)7月25日午前10時頃、大分県津久見市保戸島に対して行われた米軍による空襲。
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[編集] 保戸島国民学校の悲劇
本空襲で、米軍グラマン戦闘機が投下した3発の爆弾の1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人・教師2人(高橋ミヨ子教諭、林シゲ子教諭)が即死し、75人の児童が重軽傷を負った。 さらに非戦闘員である逃げ惑う児童に対し機銃掃射も加えられ、遺族被害者をはじめ現在でも批判が多い。
現在、同校校庭には慰霊碑が建立され、罪なき犠牲者の御霊を弔うべく毎年慰霊祭が執り行われている。