井上二葉
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井上 二葉(いのうえ ふたば, 1930年8月30日-)は、シドニー生まれの日本のピアニスト。
[編集] 略歴
父は外交官。4歳でベルリンにて遠山つやのもとでピアノを始める。その後ブダペストにて音楽教育を受けるなど、幼少期をヨーロッパで過ごす。帰国後、黒澤愛子、豊増昇に師事。東京音楽学校本科ピアノ科卒業、同研究科修了。安川加壽子に師事。
1953年デビューリサイタル開催。1957年より渡仏。パリにてラザール・レヴィに約1年間師事。1967年フランス青少年音楽協会と民音との交換芸術家第1号としてフランスに派遣され、地方都市23ヶ所でリサイタルを開催。その後ヴラド・ペルルミュテールに師事。この間ソロ活動のほか、ジャン・マルティノン、ジャン・フルネ指揮でNHK交響楽団定期公演に出演するなど、活発な演奏活動を展開。また、フルートのジャン=ピエール・ランパルの伴奏者としても好評を得る。
1974年ガブリエル・フォーレ歿後50年を記念して、日本人として初めてピアノ曲全曲連続演奏会(全4回)を開催。その成果に対し第5回福山賞を受賞。長年エリザベト音楽大学にて教育活動にも携わり、現在同大学名誉教授。日本演奏連盟会員、日仏音楽家協会会員、日本フォーレ協会委員。
[編集] レパートリー
デビュー以来フランス近代の作品を主なレパートリーとし、最近では2008年4月に、東京に於ける実に31回目となる自主リサイタル(『歿後50年を迎えるフロラン・シュミットをめぐって』)を行い、健在振りを示している。室内楽・伴奏・講習会などもあわせ、今なお積極的な活動を続けている日本ピアノ界の重鎮である。ベーゼンドルファーを好んで可能な限りそれを使用して演奏しているが、これは彼女の演奏スタイルに調和している。
[編集] 演奏スタイル
「人生の垢が全く削げ落ちたような」と形容されることもある美しいタッチが特徴。アゴーギクは微量に留めてあり、清潔感が漂う。近年では指ごとの音色がややばらつく危険もあるが、若いときから培ったタッチは今もなお衰えはない。フォーレ後期作品の解釈は、本人ですら難解と語るものの、余人の追随を寄せ付けない見事な解釈を聴かせる。
現代音楽にも積極的に関わり、かつて軽井沢で開催された現代音楽祭の常連であった。昭和20年代において既に、レナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ツカハラ・シンフォニック・オーケストラ) 、バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」(上田仁指揮東京交響楽団)を演奏していることは特筆される。また矢代秋雄とは幼馴染みでもあり、多くの作品を献呈されている。松平頼則の傑作「美しい日本」は全曲が彼女の手で初演され、LP録音された。この作品を通演できるピアニストが消えた現在、強くCD復刻が望まれている。