五日市街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五日市街道(いつかいちかいどう)は、徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材、炭などを運ぶために整備された街道。初期には伊奈道とも呼ばれた。現在の東京都道7号杉並あきる野線とほぼ一致する。
武蔵野台地の新田開発が進むと、多摩地域と江戸を結ぶ街道の一つとして発展した。
1956年、横田基地拡張に伴い、立川市西砂町~福生市第五ゲート前交差点が米軍に接収されて、分断された。そのため現在の五日市街道は西砂町宮沢付近から横田基地の南側を迂回し、拝島駅付近の武蔵野橋北交差点で国道16号に合流している。西砂町付近に二股に分かれる交差点があるが、小金井橋方面から進むと直進方向に伸びる道が、かつての五日市街道である。