五島玄雅
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五島 玄雅(ごとう はるまさ、天文17年(1548年) - 慶長17年3月8日(1612年4月8日))は、福江藩の初代藩主。21代当主。宇久純定の三男で、五島純玄の叔父に当たる。通称は孫次郎、孫右衛門。官位は従五位下、淡路守。豊臣姓を賜る。室は大久保家次の娘。
大浜姓を名乗っていたが、1594年、甥の純玄が文禄の役に出陣中、天然痘にかかって死亡したため、その後を継いで当主となり、朝鮮出兵に参加した。1600年の関ヶ原の戦いでは中立を保ち、戦後、徳川家康から所領を安堵されて福江藩の初代藩主となった。
1612年に65歳で死去し、その後は玄雅の従兄弟の宇久盛長の長男・五島盛利が継いだ。法名は大円寺天幢奕叟。
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