二階堂行村
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二階堂 行村(にかいどう ゆきむら、久寿2年(1155年) - 嘉禎4年2月16日(1238年3月3日))は鎌倉時代中期の幕府実務官僚。二階堂行政の子で評定衆。二階堂行光の弟。
行村は文筆の家ながら京で検非違使となったことから山城判官と呼ばれ、鎌倉では侍所の検断奉行(検事兼裁判官)として活躍している。和田合戦では『吾妻鏡』1213年(建暦3年)5月4日条に「山城判官行村奉行たり。行親・忠家これを相副う」とあり、行村が北条方の軍奉行とみて間違いないだろうとされ、『吾妻鏡』の和田合戦の多くは行村が取り纏めた史料によると見られている。
[編集] 参考文献
- 五味文彦『増補 吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世』(吉川弘文館、2000年)