二条師嗣
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二条 師嗣(にじょう もろつぐ、延文元年/正平11年(1356年) - 応永7年11月23日(1400年12月9日))は、室町時代初期の関白。関白二条良基の次男。母は土岐春日入道善忠女。子に二条満基・二条持基らがいた。後香園院と号した。
貞治5年/正平21年(1366年)に叙爵。永和元年/天授元年(1375年)右大臣になり、同4年左大臣になり、康暦元年/天授5年(1379年)従一位に昇る。同年関白になったが、永徳2年/弘和2年(1382年)後小松天皇即位と同時に関白を辞職し、嘉慶2年/元中5年(1388年)後小松天皇のもとで再び関白になり、応永元年(1394年)関白を再び辞し、同5年(1398年)三度関白職に就いたが、同6年(1399年)4月17日出家して政界から引退した。法名を円誉といった。応永3年(1396年)美濃国立政寺に御影堂を建て、先祖九条兼実や父良基の像などを祀った。『新後拾遺和歌集』や『新続古今和歌集』などの勅撰和歌集の歌人でもあった。応永7年(1400年)11月23日、45歳で薨去。