九条稙基
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九条 稙基(くじょう たねもと、享保10年10月13日(1725年11月17日) - 寛保3年2月22日(1743年3月17日))は、江戸時代中期の公卿。九条家第4代当主。父は従二位内大臣九条幸教。母は尾張藩主徳川継友の養女(徳川吉通の娘)。後東光院と号した。
享保17年(1732年)8歳で従三位に叙せられ、その後、15歳で正二位に昇叙される。その後内大臣にまでなったが、寛保3年(1743年)2月22日に19歳の若さで薨去した。稙基には子がなかったため、京都随心院で出家していた叔父(父幸教の末弟)九条尚実が還俗して九条家を継ぐことになる。
[編集] 参考文献
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年