九条教嗣
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九条 教嗣(くじょう のりつぐ、貞治元年/正平17年(1362年) - 応永11年8月15日(1404年9月19日))は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿。中山と号した。従一位関白九条経教の次男。母は参議冷泉定親の娘。兄弟に九条忠基・九条満家・孝円・道尊・孝信・経覚らがいた。
応安4年/建徳2年(1371年)1月5日に従三位に叙せられる。永徳3年/弘和3年(1383年)正二位に昇叙される。その後、内大臣を経て右大臣まで昇進した。応永11年(1404年)8月15日、43歳で薨去した。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。