久我通相
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久我 通相(こが みちすけ、嘉暦元年(1326年)-応安4年/建徳2年7月14日(1371年8月24日))は、南北朝時代の公卿。父は太政大臣久我長通。母は参議園基顕女。子に具通・道快・長雅・相覚・相厳がいた。千種入道前太政大臣と呼ばれた。
建武4年/延元2年(1337年)従三位に叙せられる。文和3年/正平9年(1354年)に源氏長者に就任し、翌年内大臣に任ぜられる。この間、文和元年/正平7年(1352年)正月には南朝から中納言に任ぜられている。貞治元年/正平17年(1362年)右大臣となり、貞治5年/正平21年(1366年)太政大臣になる。応安元年/正平23年(1368年)辞表を奉り、応安4年/建徳2年(1371年)7月12日に出家し、14日に薨去した。享年46歳だった。
[編集] 参考文献
- 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。