中院親光
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中院 親光(なかのいん ちかみつ、生年不詳 - 永和3年4月(1377年))は、南北朝時代の公卿。村上源氏。父は権大納言中院光忠。母は藤原雅平女。初名は光房といった。
徳治2年(1307年)叙爵。文保2年(1318年)正五位下侍従に叙され、親光と改名。以後累進して元徳元年(1323年)参議に任ぜられたが、同年辞職。元弘3年(1333年)10月従三位に昇叙されたが、建武3年(1336年)に足利尊氏が上洛した際、後醍醐天皇に従って比叡山に逃れ、天皇の和談とともに天皇に従って帰京した。しかし天皇が吉野に逃れたため、南朝との通謀を室町幕府に疑われて建武4年に逮捕された。観応2年(1351年)尊氏・義詮が南朝に降った際に二条師基らとともに南朝に帰参し、権中納言に任ぜられる。その後北朝復活とともに帰京し、貞治2年(1362年)権中納言になり、間もなく辞任した。翌年正二位に叙せられ、応安6年(1373年)権大納言に昇進したが翌年辞任。永和3年4月薨去した。
[編集] 参考文献
平野邦雄・瀬野精一郎編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年。