中島AT-2
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中島AT-2(なかじまAT-2)とは、日本の航空機メーカーであった中島飛行機が1936年(昭和11年)に完成させた双発レシプロ旅客機である。この航空機の陸軍向けの軍用タイプは九七式輸送機として使用された。また民間旅客機としては日本の大日本航空のほか、日本の傀儡政権であった「満州国」の満州航空などでも使用された。AT-2は33機、九七式輸送機は318機生産されたが、軍用型の量産は後期は立川飛行機で行われ、生産数は299機と中島より多かった。
[編集] 機体の特徴
満州事変により中国への進出を行った日本であるが、日本と中国大陸との航空連絡時間の短縮の要望を応えるべく、中島飛行機が満州航空の要求で開発されたのが中島AT-2である。機体デザインは同時期にアメリカで生産されていたダグラスDC-2を参考に製造され、大変よく似ているが、少しサイズが小さいことと、風防や機首の形状は独自の特徴的なものであり、胴体断面も角型になっていた。そのため空力的には優れた設計になっていた。試作第1号は1936年9月12日に完成し初飛行に成功した。この1号機は「国光」と命名され、満州航空に納入された。
[編集] 機体性能
- 運航乗員: 3
- 乗客: 8名
- 全長:15.30 m
- 全幅:19.92 m
- 全高:3.90 m
- 翼面積:49.20 m²
- 空虚重量: 3,500 kg
- 全備重量: 5,250 kg
- エンジン: 2 × 中島「寿」二型改
- 出力: 460 hp
- 巡航速度: 310km/h
- 航続距離: 1,200 km
- 最高到達高度: 7,000m