中元清純
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中元 清純(なかもと きよずみ)は、1952年以来主として宝塚歌劇団の音楽を担当する作曲家。神戸出身。著書に「琵琶の教科」がある。日本万国博覧会では、閉会式のプロデューサーを担当した。
宝塚歌劇においては、昭和30年代以降ヒット曲を連発し、宝塚音楽史上に一時代を築いた。とりわけ音楽担当として参加した「華麗なる千拍子」(1960年)や「虹のオルゴール工場」(1963年)などはひと際成功を収め、その地位を不動のものとした代表作に数えられる。特に後者作品では芸術祭文部大臣奨励賞を受賞した。
主な作曲作品
- 『いつか夢に見し』(『かっぱの姫君』(1956年)高木史朗作詞)
- 『落葉散る丘の小径』(『高校三年生』(1957年)内海重典作詞)
- 『望郷の琵琶歌』(『花の饗宴』(1958年)高木史郎作詞)
- 『流れゆく花びら』(『花の狸御殿』(1958年)高木史朗作詞)
- 『花の行列』(『花の狸御殿』(1958年)高木史朗作詞)
- 『花の中の子供たち』(『花の中の子供たち』(1958年)高木史朗作詞)
- 『君ありてこそ』(『君ありてこそ』(1959年)内海重典作詞)
- 『トロワ・デラックス』(『ミュージック・アルバム』(1959年)白井鐵造作詞)
- 『美しいわがパリ』(『ウィウィパリ』(1960年)高木史朗作詞)
- 『夜霧のモンマルトル』(『ウィウィパリ』(1960年)高木史朗作詞)
- 『眼鏡の中のつぶらな瞳』(『三文アムール』(1960年)矢代静一作詞)
- 『君ありてこそ』(『君ありてこそ』(1960年)内海重典作詞)
- 『南のフェスタ』(『カルメン・カリビア』(1960年)内海重典作詞)
- 『私は妖精』(『タカラジェンヌに栄光あれ』(1962年)高木史朗作詞)
- 『タカラジェンヌに栄光あれ』(『タカラジェンヌに栄光あれ』(1962年)高木史朗作詞)
- 『いつかきっと』(『虹のオルゴール工場』(1963年)高木史朗作詞)
- 『東京へ行きたいナ』(『虹のオルゴール工場』(1963年)高木史朗作詞)
- 『忘れないでネ あの日のことを』(『虹のオルゴール工場』(1963年)高木史朗作詞)
- 『宝塚歌劇団団歌』(宝塚歌劇50周年記念式典(1964年))
- 『私は神戸の街が好きなんだ』(『港に浮いた青いトランク』(1965年)高木史朗作詞)
- 『夢を売る妖精たち』(『夢を売る妖精たち』(1966年)高木史朗作詞)
- 『この道はシルクロード』(『シルクロード』(1969年)高木史朗作詞)
- 『今もお前が』(『星の牧場』(1971年)庄野英二作詞)
- 『ザ・レビュー』(『ザ・レビュー』(1977年)内海重典作詞)
- 『ラ・ベルたからづか』(『ラ・ベルたからづか』(1979年)白井鐵造作詞)
- 『名探偵はひとりぼっち』(『名探偵はひとりぼっち』(1984年)大関弘政作詞)
- 『ひとときの夢』(『ヒート・ウェーブ』(1985年)横澤英雄作詞)
- 『ザ・ゲーム・イズ・オン』(『ザ・ゲーム』(1989年)横澤英雄作詞)
他多数。
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